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伝統行事

某県某市に伝わる伝統行事について浅慮してみる。

行事のあらましとしては、年に一度、大晦日に町内の青年(近年はなり手が少ないため年齢問わず)が面とけらを身にまとって家々を回る行事。
家の中に入り、嫁や子供を叱り付けて、一年の反省を促し、来年はきちんとやっていくこと約束させて去っていく。
全体的に手荒なのが特徴。

近年は観光や、教育などに取り込んでいるので、歳神であるとか、親子の絆といった面がさかんに取り上げられるが、体験してきた人間の感覚としては、そこは本質的な部分ではない。

例えば、一年間、神童のように正しい行いをしていたとしても、怒られて、泣かされて、謝らせられるのであって、行事自体に合理的な理由も、筋道通った説明は存在しない。

こーゆうのは、最近の人間社会の中では嫌われる。
特に先進国では、人間の理屈だけで世の中が形成されているので、こーいった行事が迫害されるのは必然だ。
衰退もやむなしである。

だが自然界の中には、不条理なコトなどいっぱいある。
もとより自然界には人間にとっての合理的な理由も、筋道通った説明も存在しない。
一昨年の地震と津波で、多くの人命が奪われたが、当然ながらそこに理由も説明もない。

そーした逆らいようの無い自然の姿の一部を写し取ったものが、この伝統行事の中にはあるのではないかと最近思っている。
実際に行事やっている本人達にその自覚はなくてもかまわないと思う。
行事自体はルーチンワークのように行われていくだけで、受け手側に、理由も説明もない世界の存在を認識させることができるとすれば、ある意味おもしろい伝統行事ではある。

廃れてほしくないという想いと、時代とともに役割を終えたんだ、という想いと両方ある。
ただ、存続のためだけの存続には、文化的な意味はないんだろうな、とは感じる


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Published in 雑記

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