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自分達の未来は、自分たちで決めるべき。

これからの地方は、過酷な競争が待っています。
簡単に言うと、特色のない、これといって産業もない地方は、加速度的に衰退し消滅する未来が確実に訪れます。
地方の衰退と言うと、都市部への人口流入が問題だと感じている方もいるかもしれませんが、それは仮想敵の設定を間違えています。
地方は、他の地方との競争にさらされるのであって、都市部との競争で衰退しているわけではないのです。

役割の違う都市と地方

都市と地方では、そもそも役割が違います。

都市の役割は、人口を集めその中で経済的な競争を行うことによって、経済を発展拡大していくこと。
人口密度が上がるため、一人あたりの専有スペースは小さく、可能な限りコンパクトに活動密度の高いライフスタイルを強いられます。

それに対して、地方の役割は、一人あたりの専有スペースを広くとれることを活かした経済活動です。
主になるのは農林水産といった一次産業ですし、景観の良さを活かした観光産業も入ってきます。

主たる活動が異なる都市と地方では、そもそも競争は発生しません。
競争となるのは、同じフィールドで勝負しなければならない地方の間においてです。

明確な目的のない地方

都市は、ある意味人口の集中によって、さまざまなリソース(人材と資金)が集まりますので、その中で自発的な発展が起こりやすい地域です。
そこには、明確な戦略がなくても(場合によっては、そうした戦略がない方が)発展していくことが可能かもしれません。

逆に地方の場合は、都市に比べれば使えるリソースが限られるために、どのような方向性をもって展開(いまさら「発展」という言葉には違和感がありますので「展開」あたりが妥当かと)していくかは、明確な意志をもつ必要があります。

例えば、先日の地元紙の特集にこんなのが載りました。

「賄えない人材を募る」
http://www.sakigake.jp/p/special/13/ashitanokuni/article6_07.jsp

島根県の沖合約60キロにある隠岐諸島の海士町(あまちょう)。面積33平方キロの半農半漁の島に、全国から年間約千人が視察に訪れる。町独自の取り組みに関心を示す若者が日本中から集まっているためだ。人口減少が進む自治体の担当者が、ヒントを得ようと足を運ぶ。

私自身は行ったことはないので、記事の内容(および、秋元氏のブログ等の情報)でしかわからないのですが、島の衰退を憂いた島民と行政が、自らの身銭を切って、未来の島の姿を話し合った結果打ち出した結果が、現在の状況を生んでいるというお話と理解しています。

多くの地方では、これが出来ていないのだろうと感じています。
まぁ、多くと言いましても、身近には秋田県と男鹿市の状況しか知りませんが、まず、そうです。

過剰に縛られている行政

なぜ、こうした自分たちの未来を、自分たちで決めるというあたりまえのコトができないのか。
この原因は明らかで、過剰なまでの行政依存がそれを生み出しています。

地方の人間は、何かコトがあれば必要以上に行政に依存すると言われていますし、実際、そうです。
道が傷んでいれば役所にお願いして補修してもらい、部落の会館が必要であれば税金で建築してもらえるように陳情を繰り返し、近くの公園に草が生えれば草刈りを要望し、ついには自宅の中にいると防災無線が聞こえないからなんとかしろ(窓を閉めた自宅の中で聞こえるわけがない…)とクレームをいれたり。
身の回りの全てを維持するのが行政の役割と言わんばかりです。

この依存は、結果的に行政に対して全方位的な施策を強要することになり、生き残りのために特定分野へのリソースの集中を妨げることになります。
例えば、男鹿で某地域の果樹をブランド化して集中的に売りだそう、というような施策を打とうとしても、じゃぁ稲作農家はどうなるんだ、というクレームが出てしまうと、行政としてはそのクレームを無視するわけには行きません。
結果的に、少ないリソースを、さらに分散させることになり、当然結果に結びつく可能性も下がります。

リソースの少ない地方ほど、リソースを集中しなければならないのに、これでは結果が出るわけがない。
こうした話をすると、行政側に責任があるような論が強いかもしれませんが、実際は、市民側からのクレームによって、行政の動きを縛っているのが現状です。

結局、自分たちの未来といった場合の「自分たち」の主語は、行政を指すのではなく、市民を指すのだということです。

自分たちの未来は、自分たちで決める

誠に残念ながら、これを今すぐに打開する名案はありません。
特効薬みたいなものは、世の中に存在しないのが常です。
他所の成功事例も自分たちの地域にとって適用できる内容は少なく、仮に適用できたとしても、元の成功事例の地域との競争で、結局負けてしまう可能性の方が高いのは、以前に書いたとおり。

田舎の成功事例こそ、危険な事例

第一歩として市民による「自分たちの未来は、自分たちで決める」仕組みづくり、意志表示を行う仕組みが必要だと思っています。
残念ながら、地方の議員選挙は出身地域の人口比率で体勢が決まってしまうため、未来を決めるという仕組みにはそぐわないです。

まずは、特定の事柄について、同じ未来を共有できる仲間が集まらなかればなりません。
ひとりよがりで主張をしていても意味はないですから。
そうした仲間、グループが実績を積むトコロからスタートするのが始まりになるでしょう。
地味ですが、仕方ありません。
口だけで主張していても、結果が出なければ未来はないのですから。

行政に望むのは、そうした実績を積んできたグループの活動を邪魔しないコト。
行政レベルの配慮でなんとかできるレベルの問題であれば、可能な限り便宜を図ってくれるコト。
特別な予算(補助金等)を付けてくれるコトは必要とは思いません。
金策ぐらい自分らでできないようであれば、発展どころか、自分たちの望む未来に展開していくことなど、できるわけがないですから。

ご承知の通り、銀チャとしては、「自転車を使ったアクティビティ」というテーマを形にしていきたいと思っています。
男鹿の地形と道路、海と山が接近している中での自転車のスピードとの相性の良さは、他所と競争しても負けることはないと思います。
半島という特徴的な外見も、この場合はプラスに働きます。

他の方には、他の方で、いろいろなご意見があるでしょうが、それぞれが主張と活動を進めていく、継続していくことからスタートしていくべきだと思います。


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Published in 意見には個人差が… 田舎でこそ活きる 自転車

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