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「消費者」および「モノ作り」からの脱却

どこかで似たようなエントリ書いてた人がいましたので、自分の考えも書いておきます。

消費者という言葉は、ある意味でいろいろな勘違いを誘発してきたようです。

一般市民すべてが普通に町で買い物をするだけの存在であるかのような印象を与え、モノを買ってきて、使い、捨てるだけの存在が大量にいるかのような言葉。
ですが、こうした方々も、企業や団体などそれぞれの持ち場で価値を創造してきているのであって、ただ消費だけを行ってきたわけではないです。

故に「消費者」という企業の都合だけを具現化した単語はやめておいて、さしあたり「購買者」あたりの単語が適当だと思います。

大量生産、大量消費はもう成り立たない

大量生産、大量消費がトレンドであった時代なら消費者という単語はうまく機能していたのでしょうが、今や資源も燃料も無尽蔵でないことが先進国の社会にも浸透してきました。

資源を持っていた途上国が価格決定権を持ち始めると、あらゆる資源がコスト上昇が現実になったために、先進国の企業も購買者も、今までの搾取料金ではなく、フェアな正規料金を支払う必要に迫られたます。
先進国の市民は今までのライフスタイルが、途上国からの搾取的取引の上に成り立っていたことに気づきはじめ、それぞれ次のライフスタイルへの遷移が必要になってきたことを認識し始めてます。

モノ作り以外の価値をつくる

「日本はモノ作りの国」と長いこと言われてきましたが、こと先進的な製造技術が世界のどこでも利用できるこの時代、「モノ作り」で生き残れるのは、ほんの一部の企業、エクストリームなテクノロジーを持つ企業に限られてきます。
先進的な技術をキープすれば、モノ作りでやっていけるという考え方もあるでしょうが、現実として、先進的な技術が、イコール最も売れる技術でなくなりましたので、この論に説得力はありません。
先進技術を、売れる商品に変換できなければ、なんの意味もありませんので。

そもそも、原材料の入手、エネルギー価格、人件費など、残念ながら日本はモノ作りに不利な条件のオンパレードで、これを高度経済成長期のような姿に戻そうという考え方はナンセンスです。

日本人は、モノ作り以外の価値を創りだしていくことを覚えて行かないといけない時代になりました。

グローバル化に応じた価値創り

進むグローバル化の世界では「モノ作り」から「価値創り」にシフトできれば、意外とメリットがあるのに気付きます。
「モノ作り」のグローバル化は、基本的に、大量の製品・サービスを、世界中で同じ品質、安い価格で提供するのが大命題です。
グローバル企業にとって人種も、国籍も、思想も、宗教も、一切関与するところではなく、必要なのは時間単価の安い労働力、過酷な労働に反乱をおこすでもなく従う従順性です。
そこに、モノ作りの国のままで留まろうとすると、人間を製造機械と同じレベルで低コスト化していかなければならず、それはただ苦しいだけにとどまらず、人件費の安い途上国や新興国に必ず負けます。
苦労の先に、明るみ未来があれば気力も湧きますが、これでは向かうだけ無駄です。

対して「価値創り」は多様性に満ちています。
その国、その土地、その人間でなければ創り出せないモノを創りだすことが目的です。
既に他所で作られてるものはもちろん、他所に簡単に真似できるようなモノでは、たちまち競合との厳しい競争にさらされるのは明らかで、ここで重要になってくるのは「その人間」の部分だと思っています。

前述の「その国」「その土地」という部分は、あくまで「その人間」を生み出すための基礎条件です。
「その人間」が、誰の真似でもなく、自分で創りあげる価値にこそ可能性があると思っています。

5本のトウモロコシ

わかりづらいかもしれませんが、例をあげてます。

我が家では今年、トウモロコシを6本植えました。
ホームセンターでヒョロヒョロになっていた売れ残りの苗で、1本50円とかそんな感じでした。
今現在、5本のトウモロコシに実のつく兆候がありますが、この5本のトウモロコシに関して、いわゆるグローバル企業は何の関心もありません。
当然ですよね。

この5本のトウモロコシは市場に出して売っても、1本100円にもならないでしょうが、少なくとも我が家の夕食で美味しく食べられるだけの役割を果たしてくれるはずです。
さらに、その5本のトウモロコシをご馳走するという名目で友人たちと一緒に夕食を食べられれば、さらに価値があがるでしょう。
さらにさらに、普段あまり親しくない知人と、その席で、同じくトウモロコシが好きだというような話題で盛り上がり、その後の人生で重要な友人になる可能性だってあります。

結果的に、数百円の値段しか付かないトウモロコシに、はるかに大きな価値があったことになります。
こういったコトが「価値作り」と言えると思います。

これからコトを成して行かないといけない世代

正直「なんじゃそりゃ?」という話にも聞こえるかもしれませんが、ここでもっとスマートに説明できるようであれば、とっくにもっと大きなコトを起こせていますので、自分もこういった話をスタートにして、これから成長してコトを成していかないといけないわけです。

「モノ作り」は裾野も広いし、単純労働で喰っていけた時代の象徴でしたが、これから来る「価値作り」の世の中では、そうした楽な面は少なく、常に何かしらの価値を生み出さないといけない、難儀な時代であることは確かです。
でも、そのぐらいやらないと、やれないと生きていけない時代が来るのも確かです。

追記:
「モノ作り」で活躍するなら、新興国、途上国に行かないといけないと思いますので、念のため。
それはそれで悪くない選択だとは思います。


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Published in 意見には個人差が… 田舎でこそ活きる

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