今朝も早起きして自転車で男鹿中から北浦の方を1時間ほど走ってきました。
いつもカメラを持ちだして、ちょっとした風景を写真に収めながら走ってますが、今朝とった一枚がコレ。
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なんの変哲もない、日本全国、どこにでもあるような田んぼの中の小道です。
向こうに橋がかかってます。
本当に何ということのない、ありふれた田舎の風景。

さて、これを橋の上から見ると、こんな風景に見えます。
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同じ場所なのに、橋の上から見ると、山に向かって棚田が広がるいかにも日本の原風景的な眺めになっっています。

この二つの風景の違いは、実は非常に重要な示唆を持っているように感じました。

ここには何もない、という真実



橋の下から見た風景は、地元で実際にそこに住んで生活している人たちが見る風景です。
この風景から、ここが観光の可能性を秘めているなんて夢にも思わない。
自分たちが暮らしていく上では、役に立つものも、売れるものも何もない。
「ここには何もない」という言葉は地元の人にとっては真実だと思います。

橋の上から眺めてみなよ、全く違う風景だよ、と言われても、彼らは自分たちの集落に戻るときは、橋の手前と先にある集落の出入口を通るために、あの橋の上を通りません。
彼らの視界の中には、なにもない集落しか映らないし、映す必要もないのです。

観光コンサルの目



一方で観光コンサル等を職業とする方々は、あの橋の上からしか集落が見えていません。
過去に、ここに来た観光コンサルの方々は、これこそ日本の原風景であり、素晴らしい農村の風景であり、ぜひ、この風景を観光に活かすべきだと、口を揃えて進言するそうです。
嘘だとは思いませんが、おそらく他所でも同じセリフを言っている気がします。

確かに、きれいな風景ですし、晴れた日にここからの眺めは印象的だと思います。
ですが、日本の原風景というような風景は、他所の田舎でも、探せばかなりの地域で残っています。
唯一無二というわけではありません。
何より、観光バスでパッケージ化されたツアーの中で、この風景を眺めていられる時間は、せいぜい5分というところじゃないかと思います。
あまり路上にあの大きなバスが停車していると、基本的には警察なりの指導が来ますので。

観光バスの車窓というのは、言ってみればテレビのようなもので、乗客と風景を決定的に切り離します。
見る人間と、見られる風景の間にある隔絶感というのは、一種、テレビの映像を見ているのと変わらない感覚を私達に与えてしまいます。
何より、自然と上から目線になってしまうのは、如何ともしがたいことで。

ここで、この風景が観光には意味がないというコトを言いたいわけではありません。
ここを観光に活かそうというならば、橋の下、集落からの風景もきちんと認識した上で、その両方を包括した考え方で進めていかなかれば成立しないんだろうな、というコトを今日、感じたのです。

直接体験するコトを磨く



ここだけではなく、他にも素晴らしい風景を数多く持っている男鹿半島ですが、残念ながら、上から眺めて5分で通過するという形の利用が多く、その風景の持つ本当の意味にまで触れられる観光というのは、ごくわずかなのかもしれません。

交通機関がまだ発達せず、道路の整備も進んでいなかった時代であれば、その風景を車窓から眺めるだけでも、十分観光として成立してきたのかもしれませんが、交通機関が発達し、国内はもちろん海外まで気軽に出かけられる時代になって、他所と同じように、ただ観てもらうだけの観光は、今後どんどん厳しくなっていくと感じています。

地域の内側に入ってきてもらい、その文化や歴史に触れてもらった上で、この地域に根ざした体験をしてもらって、初めて、ここに遊びに来て良かったな、という実感を持ってもらえるんじゃないかと感じています。

直接来てもらい、直接会話して、直接触ってみて、直接味わってみる。
そうした直接体験してもらう為の仕組みを、もっと磨いていかないと、一度来て通過するだけで、その人にとっての男鹿半島の体験は終わってしまいかねません。

そのためには、その地域の文化や歴史を、住んでいる人間がきちんと伝えられるようになっていないといけませんが、これはそんなに難しいコトではないはずです。
自分が両親から、祖父母から、または地域の年配の方々から聞いてきた話や、暮らしてきた様子を、そのまま話せばいいだけなのですから。

もちろん、地域の人と、観光でやってきた人を結びつける為の人というのは、必要になってくると思います。単にツアコンというだけに留まらない役割を担う人が必要です。
これは、まだ一般的ではありませんが、これから必ず必要になってくるはずです。
もちろん、一人で何十人の人を面倒みることはできませんので、これからの観光のスタイルは、もっと少人数のユニットで動くように変わってくるはずです。

観光から旅への回帰



実際、飛行機や新幹線などの高速移動が可能な交通機関が発達し、車の性能があがって、道路が整備されたことは、観光にとっては移動時間の短縮になりましたが、そのかわり一つの観光地を楽しむための時間すらも短縮されてしまったように感じます。
ある意味、移動コスト、宿泊コスト等を支払うことで、観光体験を消費していっているような感覚にとらわれます。

元来の旅というのは、そういう時間間隔での体験ではなかったような気がします。
子供の頃、母方の実家に出かけて、暖かく出迎えてもらい、虫取りをしたり、川で魚を追ったり、井戸で冷やしたスイカをみんなで食べたり。
変わった風景も、観光施設も、娯楽も、何一つなかったですが、あれほど楽しい時間を過ごせたことは人生の中でも貴重な体験になっています。

時計を外して、のんびりとした時間感覚の中で、ゆっくりと体験してもらう。
そうした、観光という消費体験ではなくて、旅という時間感覚を取り戻していくことが、これから必要になってくると考えてます。
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