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イベントって何のためにやるんだろう

前から思っていて、今現在も考えていて結論が出ないようなお話。

イベントって何のためにやるんだろう、という素朴な疑問。

例えば、商業施設やメーカーがやるイベントは集客によるピーアールと、売上増というシンプルな構造なので、何の疑念もないのですが、行政やNPO、任意団体といった利益を受け取る構造のない団体がイベントを開催することの意味は何だろう…という疑問です。

とりあえず、ぐだぐだ考えて何もやらないままでは、何も答えは出ないので、ここ2~3年ぐらい、そうした活動にも携わってきましたが、未だに答えは出てないです。
中には、補助金をもらい、協賛金を集めて開催してるイベントが、毎年赤字を出してるのに、それでも続いているのを見ると、はたしてどんな意味があるのだろうかとも思います。
一年に一度だけ開催するようなタイプのイベントは特に。

皆で集まって、皆の力で、何かするのが大事なんだ、という話をされる方もいらっしゃいますし、それにも一理あるとは思います。
でも、なら補助金も、協賛金ももらわずに、資金を出してくれる人だけで開催すればいいんじゃないか、他所にスポンサーを求めた以上は、目に見える形で成果を示す必要があるのではないか、とも思います。

難しいです。

今朝、Twitterの誰かのツイートで、人間の脳は、何かを抑圧されると、かえって何かの形で、その抑圧を開放すべく本能的に行動を起こすような内容を見かけました。
いわゆる、日本でいうところの「お祭り」「風習」が、それに該当するようなお話だったような。
確かに、男鹿のナマハゲも、かつての家長制度の中で抑圧されていた若者が、大晦日にその抑圧を開放させるというのが、発生の要因の中にあったのではないかと分析される方もいらっしゃいます。
この考え方は興味深いです。

そこで思ったのが、各地で盛んに開催されているイベントは、この抑圧への開放行動なのではないか、ということ。
有り体に言ってしまえば、ストレス発散。

地方に住み、経済的にも低迷し、少子高齢化は加速し、未来への見通しも暗く、そんなことを真面目に悩んでたら、三日でうつ病を発症してしまいかねない、地方の状況。
だからと言って、その状況から簡単に抜け出せる訳もなく、ただ真綿で首を締められるような状況で、抑圧されている地方の若者。

そうした若者(自分は若者っていう歳じゃないですが…)が、抑圧された状況からの開放を求めて、年に一度の、大きなイベント開催に力を向けている…というのは、一つ納得できる動機のように思います。

考えてみれば、日本の「お祭り」や「風習」の中には、そうした若者の抑圧を開放させる役割があったのだと思います。
ところが、今現在は「お祭り」や「風習」自体が存続の危機に瀕している状況ですので、若者には年に一度の開放日すら用意されていないわけですよね。
自らの力でイベントという開放日を設定することで、精神のバランスをとり、活力を得ているという考え方には一定の説得力がありそうです。

とはいえ、そのように分析したとしても、個々のイベントは、その性質も、成り立ちも、運営も、ぜんぜん違うので一概には言えないとろが難しいところで。
そもそも、まとめて考えるのも無理な括り方のような気もしますし。
まず、そうした部分も含めて、そのうち未来志向な答えが導き出せたらいいな、という在りがちな言葉で、今日のところは結んでおきたいと思います。


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Published in 答えなど無い

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