伝統って何だろうかと、ふと考える。

それはやっぱり「常に変わり続けることを恐れない心」なんじゃないかと考える。

決して昔ながらのやり方を変わらず続けることじゃない。

変えたくないのは結果と目的
昔ながらを続けるということは、モノであれ、コトであれ、同じ結果、同じ目的を達成し続けというコトが最重要。

過程を一緒にしても、結果や目的が常に同じになるわけではない以上、過程を変えるコトを恐れてはいけないはず。

ところが、世の中一般の認識はこの逆で、昔から同じ作り方や、やり方をしているモノやコトに対して、伝統という言葉を使いたがる。

それらは、既に過去の繰り返し、アーカイブを実演してるに過ぎず、変わらぬコトを強いるが故に、消滅を早めているとも言える。

モノであれば、需要も、嗜好も、気候も、原材料も変わっているのに、昔と同じやり方で同じモノを生み出せるはずが無い。
常に工夫と試行錯誤を繰り返してモノだけが今に受け継がれてきてる。

コトにしても同様。
社会は常に変わり、人々の願いがほんのちょっと前に比べても、これだけ変わってきているのに、お祭りや伝統行儀が、昔と同じ体裁で行われているコトは、中身が空洞化してきてることを顕著に表してると思う。

願いが変われば、形も変わる
多くの伝統行事で願われる五穀豊穣や大漁祈願。
実際のところ、農家や漁師がこれだけ減少してきてる中で、それが人々の最も切実な願いとは言い難い。

願いを無視して、体裁だけを昔に揃えてる行事は、例外なく消えていくのが自然の流れだ。

男鹿半島にも、全国的に有名ではあるものの、その存続が風前の灯となっている伝統行事がある。
少子高齢化が要因とは言うものの、最も大きな要因として、中身の空洞化が起きていることも間違いない。

続けていくコトが目的になれば、形だけが残され、中身が取り残されるのは伝統行事に限ったコトでもないので、ここらで、その本質をきちっと見極める必要があるんだと思う。

消えてなくなる前に。
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