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災害は常に自分たちの傍にあって、必要なのは克服でなく共生。

自分は、被災地から離れた男鹿に住み、募金に協力したりしたことはありますが、震災後、直接被災地に行ったことはない、という立場の人間です。

こう書くと、被災隣県に住んでるのに一度も現地に行ったことないかと言うと、ちょっと申し訳ない気持ちにもなったりします。
ですが、そういう人も割と多いんじゃないでしょうかと思って、その立場で考えてきたことなどを今日は書いてみます。

3年前の今日

自分は、ちょうど教室で生徒さんに講習中で震災発生を迎えました。
揺れ自体はさほどでもないものの、異様に長く続く揺れに「遠くで大きな地震が起こった?」ということまでは思い当りました。
すぐに停電したので自宅のADSL回線は繋がらず、スマホの方で地震情報をチェック。
そこで「震度7」という数字を見て、とんでもない地震が起きたことを認識。

講習を中止しようかと思いましたが、たまたまその時にいた生徒さんが元外洋航海士の方で「このぐらいの揺れなら外洋船なら普通だ」ということで、ノートPCのバッテリーが無くなるまでは講習を続けました。
後で話を聞いたら、なんでこの大変な時にさっさと帰ってこないの、と奥さんに怒られたそうです。

その後、停電。
幸い反射式のストーブが何台もあったので、そんなに寒い思いもせずにすみ。
水道とガスは止まらなかったので、蓄えのコメを土鍋で炊いて、食事もそんなに困らず。
明日、電気が付けばまぁ何とかなるだろうなぁ…と思いながら就寝。

翌日、電気がついてから入ってきた情報は、皆さんご存知のとおりで。

災害の後に考えたこと

一通り落ち着いた後には、いろいろな活動に関わることになりました。
といっても、被災地に赴いて、という方向性とは別でした。

「災害と自給」に関しての活動や、ジオパークにかかわった活動。

こうした活動の中で、最初に認識したのは、災害の前で人間がいかに無力であるかということ。

男鹿には、過去の破局的災害の跡が見れる

過去に地球上では、破局的な災害が何度も起きてます。
男鹿の五里合にある安田(あんでん)海岸では、過去50万年から8万年の地層を観察できる場所。
この中に火山の噴火による堆積層が4か所もある。

北海道の洞爺、九州の阿蘇は2度、朝鮮の白頭山。
遠く離れたこの場所で、これだけの堆積層が形成されたことから、噴火直後、火山周辺の地域は溶岩と火山噴出物でほぼ壊滅したと考えられている。
当時、もし人間が住んでいたなら、間違いなく全滅していたであろうことは想像に難くない。

これほどの災害が、すぐに起きるかどうかは誰にも分らないですが、確かなこともあります。
それは、災害は決して人間の作った物差しでは測れないというコト。

想定される揺れはこれぐらいだから、建物の強度はこのぐらい必要。
想定される津波の高さはこのぐらいだから、堤防の高さはコレだけ。
断層の上は地面が大きく動くので、原発はダメ。

それぞれ、人間の基準で災害を想定して、その中では安全とする基準で社会を構築する。
これは、あくまで建築業界や、電力業界が経済活動をするための方便でしかない。
無意味なことではないけれど、災害は何の感慨もなく、それを上回る規模で発生する。

自分は、いわゆる理系の人間で、技術やテクノロジーの発展が、人間の未来を切り開くことを信じて生きてきましたが、少なくとも今のテクノロジーでは、災害は克服できない。
災害は、自然と同じように、常に自分たちの傍にあって、それから切り離された暮らしなど存在しない。

そういう考え方が、災以降、自分の中に生まれた新しい感覚だったりします。

ちょーっと長くなってきたので、ここらで一回切りますね。
続きは次回。


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Published in いざという時のために 答えなど無い

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