shoumetsuuso

「里山資本主義」や、「消滅可能性都市」についての内容とか、これらに対してのネガティブな反応があることに、ちょっと違和感があったのが気になっていました。

その反応について、上のtogetterまとめを読んでで、ある意味納得。

ネガティブな反応には、これに対しての行政アクションまでを含めた反応であったかのように思います。

かように、同じ本や、資料を読んでも、そこから何を読み取るかは人によって大きく異なるものであって、その辺が面白いところです。

もともと行政への期待はない


自分が「里山資本主義」を読んだり、「消滅可能性都市」の資料を見たときに、そこに対して、行政がどのように取り組むかという話は、微塵も思い描きませんでした。
もう、すでに行政が何かをしたからと言って、地方の衰退や消滅が止まるような状況ではありませんので。

今後も都市化が進み、都市で生活するのが当たり前の世の中にあって、地方に住むというのは、その個人にとって、地方に住むメリットがあるという特殊なケースに限られます。

つまり、好きで地方に住む人が、それぞれ活きていけるような枠組みづくりが大事なのであって、全ての住民に、都市と同様の高度なインフラや行政サービスを平等に提供することは、現実不可能になります。

ということは、平等なサービス提供を主とする現在の行政には、今の地方をどうにか出来るはずがありませんし、人口増加や、少子高齢化を防ぐための手立てが出来るとは少しも思っていません。
只、現状のインフラ(道路、電気、水道、ガス)を効率よく維持管理することを望むのみです。

行政が、ではなく、自分が


「里山資本主事」の本を読んだとき思ったのも、こうすれば地方は活きていける、こうすれば再び活力を取り戻せるといった夢物語では無かったです。

人口が減っていく地方においても、現地のモノを活かして暮らしていく道はある。
ただし、それで養える数はたいした人数ではない。
故に、中央からのカネにぶら下がって半端な都市化を追うことはとても危険。

そんな感じでした。

「消滅可能性都市」については、ウソとか、ホントとかのレベルではなくて、現実に起こっている状況を、素直に未来まで線を延ばしていくと、そうなるよね、という当たり前の状況確認。

これで行政側が大いに慌てて、対策をどうこうという騒ぎはあったんでしょうが、何をしたってどうにもできないという状況には変わりありませんので。

この先、行政がどのように動くべきかというお話では全くなくて、地方に住む個人が、自分の暮らしを維持するために何をするべきなのか、何を創ってっていかなきゃならないか、というお話だと思っています。

地方で活きる人間になるために


中央(国)に何かを依存した状況で、地方(市町村)が生き残れると思っているようなら、それはかなり楽観的なお話であって、中央が地方にカネを廻せなくなった時点で全てが終了します。

都市は、今後も都市として周辺人口を飲み込みつつ発展を続けるでしょうが、地方は現在の延長線上に未来はありません。
税収が上がらなくなった時点で、中央からも切り捨てられ、自活の道も断たれます。

地方が目指すべきは、都市的な発展を放棄し、最小限のインフラを確実に維持できるような効率的な行政体。
そして、そこに住む人間は、都市では賄えない、都市では体験することのできない、その地方唯一の価値を提供すること。
都市の人にとっても必要な地方であり続けるコト。

今のように「自分とこの自慢は自然、食べ物、人情です」なんて、どこにでもあるようなモノをあげるんじゃ無くて、もっと地域に根ざした、人に根ざしたものを提供できる、そうした個人にならないと、地方では活きてはいけないと感じています。

まとめ


何をどうしたって、地方の衰退、消滅は止められません。
その中で、どうすればその地方に住み続けられるか真剣に考えて、都市化とは全く違う道を模索していけるかが、地方で暮らしていけるかどうかの境目です。

おそらく男鹿市であれば2万人をきったあたり(たぶん7,8年後ぐらい)で、どのようなアクションを取れるかで行政体として存続できるかどうかが決まるかと思います。

自分としては、その時にどのような動きが行われるかにかかわらず、自分が活きていけるかを今から模索するのが、地方に住み続けるための条件だと考えています。

以上。
このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット