この台詞、地方のあちこちで使われてますが、本来の用途では使用されていません。

この台詞の後に続くのは、たいていの場合「だから、うちの村では無理なんだ」です。

つまりは、諦めを促すための枕詞という、最も意味のない言葉というのが現状。

本当に地方に必要なのは「よそもの、わかもの、ばかもの」じゃないんですよ。

必要なのは「自分」です


地方に必要なのは「自分」です。

自分が何をしたいか。

自分が望む未来は何か。

どんな地域の中で生活したいか。

そのために自分が出来ることは何か。

そうした問いを続けるコト。

それが、地方において一番必要なコト。

行政だの、議員だの、市長だの、そんな役に立つのか分からない人達に期待なんかしてても無駄です。

「よそもの、わかもの、ばかもの」なんて、存在するかどうかも分からない人に託してどうするんですか。

誰かが、何かをしてくれるのを待ってるだけなら、そんな地域は消滅して当たり前。

いついかなる時においても、「自分」がどうしたいか、どうするのか…です。

楽しくやってれば集まってくる


まぁ「よそもの」になるのは出生的に無理があるかもしれませんが、「わかもの」(気だけは若く前向きに)や、「ばかもの」(馬鹿げてることにもチャレンジする)ぐらいなら誰だってなれるんですから、結局いいわけですよね。

「わかもの」と「ばかもの」が楽しくやってれば「よそもの」だって集まってきますし、うちの村にはいないから…っていう言い訳自体が意味が無いんですよね。
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