人の知覚の問題として、自分の知っていること以外のことは知らない、という基本的な真実があります。
誰しも、すべての人を知っている訳ではないですし、つながりがあるわけでもありません。
緒戦は、人が一生かかって知り合える人の数は限られてますし、比率で言えば一生知り合えない人の方が圧倒的です。

何をか言わんやという書き出しですが、この心理は、人口の減少に悩む地域にとっては福音であるかもしれません。
大きな地域の公共は、そこに住むさまざまな人、それこそ顔も見えないような人に対してもフォローをしていく必要があったわけですが、人口減少が著しい地域では、住民すべてが顔の見える関係であることは珍しくありません。
規模が小さいが故に公共がフォローせねばならない範囲が小さく済むのは、今の肥大した「公共」の取り扱いに悩む地域にとっては、かえって都合がいい可能性があるのです。

何事も他所と同じように、すべてを整備し、すべてを開発されねばならない、という考え方がすでに過去のものになっていることは、もう皆さんがわかっていること。
それをしようとしても、そこまでのカネはないのです。
今の政府の経済政策がうまくいったとしても、成長に転じられるのは、せいぜい2%とかその程度であって、それすらも怪しい情勢です。
かつてのように10%を超えるような経済成長でもなければ、国土すべての整備、開発などできるわけもなく。
仮に、再び高度な経済成長を遂げるようなことがあっても、それはまず国だけで1000兆円を超してる借金を、完済する方にあてるべきでしょう。

話がそれましたが、小さな地域を、小さな公共でフォローしていくのは、これから先の変化に対応するためにも重要だと思います。
全員が顔見知りであれば、意思の疎通も早いですし、意思決定も早くできるわけです。
今ですらも、次から次へと世の情勢が変わっているのに対応せねばならないことを考えると、大きな公共を維持しながらそれに対応するのはもう限界だと思います。
組織を解体する云々という話より先に、地域の中に公共を担うコミュニティを形成していく時代です。、

ただし、地域全員が顔見知りであることは、必ずしもよいことばかりとは限らないのは重々承知のこと。
他者への過剰な干渉が、地域の中に圧迫的な空気を作り出してしまえば、大事な人材を地域の外に追い出しかねません。
ですが、そうした過剰な関係性が、自分たちの地域を衰退させたことを、地方の過疎社会は経験してきていますので、そうそう同じ轍を踏むとも思えません。
もし、同じことを繰り返せば、その時は、その地域の未来が閉ざされるだけですので、それは責任が自らに完結するだけのことです。

今の時代、どれだけ小さなコミュニティを力強く形成できるかで、その地域が生き残れるかどうかに大きな差が出てくるものと思っています。
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