今の社会を見渡してみて思うことは、いずれもとにかくバランスが悪い。

アンバランスな経済活動


経済最優先で編まれた今の社会は、そこに強制的に接続されたグローバル経済との均等関係をうまく築くことができず、我々庶民が稼ぐ僅かな日銭と、グローバル経済を掌握する資産家の巨万の富を同じモノとして扱うことしかできない。

これは非常にバランスが悪い。

我々が稼ぐ日銭は、言わんもがな、我々が生活をしていくために必要な生活費だ。
そうして稼いだ日銭で、日々の食事をまかない、生きるのに必要な用品を整える。

他方、資産家が扱う巨万の富は、彼らにとっては仕事の道具であり、そこで為した益は、再び仕事の道具として次の仕事へと投される。
そこで得られた益が、日々の生活に充てられるわけではない。

ところが、我々の日銭と、彼らの富は、カネとしては同じと扱われる。
彼らの活動の結果、カネの価値が変動すれば、我々の日銭もその影響を受ける。

何ともアンバランスな状況と言える。
何ともリスキーな状況と言える。

自給自足では成り立たない


じゃぁカネというものを全て捨てて、すべてを自給自足できるかと言えば、答えはNO。

全ての文明的生活を捨てて、海と山と太陽の恵みだけで生活するというコトは不可能ではないものの、今の人口規模を養えるだけの生産性はとても持てない。

一部の人が実践することは可能だろうが、全体として移行が可能なスタイルとは、とても言えない。

もちろん、家庭菜園的な取り組みで、自分の食事の数パーセントを自給したり、薪ストーブを使ってエネルギーを自給したりという、部分的な自給スタイルは実践可能だ。

しかし100%の自給自足というのは容易なことではない。
そこを目指すのはバランスに欠く選択だ。
そこを目指すのはリスキーな選択だ。

間をとろう


もともと日本人は、よいとこどりが得意なはず。

外から入ってきたモノは、何であれ自分たちに都合のよい部分を選別したり、日本向きにアレンジしてそのクオリティを上げてきた。
もともと日本にあったモノと、いい感じ間をとって、うまく馴染ませてきた。

いままで便利に使えてきたカネというモノサシが、グローバル経済との接続の中で著しくアンバランスな状況にあるのなら、経済社会と自給自足の間のバランスを、も一回考え直してみていいと思う。

グローバル経済に盲従するという選択もあるだろうけど、それを選択できる人はごくわずか。
全てを貨幣経済に依存するコトがリスクになっているのなら、そのリスクを軽減した、もっとバランスの良い選択肢があるんじゃないかと思う。

カネだけが、すべてを測るモノサシというわけでもない。
他にもモノサシはたくさんある。

自分の身体感覚でバランスさせる


バランスよく自給し。
バランスよく誰かに頼り。
バランスよく稼ぎ。
バランスよく消費する。

このあたりをバランスさせられれば、凄く豊かなライフスタイルが築けるんじゃないかと感じてる。

問題は、どうバランスさせるか。
これには、実は何の前例も、何の理論もなく。

そこを見極めるのは、それぞれの人が持っているはずの身体感覚しかないと思う。
自分だけが持っている、自分のためだけの、最高にバランスのよいモノサシだ。

どれだけ自給すれば良いかは、自分の身体が知ってる。
自給のための作業を、自分の身体がどれだけ担えるか。
収穫して、採ってきたばかりのトマトが、だれだけ美味しいか。
そーいった身体感覚に似合う分だけ、自給すればいいと思う。

誰かに頼るというコトは、誰かに頼られるというコト。
そのやり取りにどれだけ費やせばいいかは、各自の感覚に任せて決めていい。
人の世話になりたくなければ減らせばいいし、お互いさまという関係性を大事にするなら増やしていい。

その上で、どれだけ稼ぐか、どれだけ消費するかを決めればいい。
無駄に稼いで、無駄に貯めこむのは、グローバル経済においてはリスクでしかないし。

バランスが個性になる


こうしたバランスと取るというライフスタイルの難しい点は、何かの前例や、誰かの真似では成立しないというコト。
どこが一番良いバランスなのかというコトを知っているのは、自分だけだから。
自分の身体感覚だけだから。

逆に言えば、そのバランスの中に、その人だけの個性が出るのだから、画一的な現代社会に悩む人には福音かもしれない。
自分だけのバランスを、自分の身体感覚だけを元に組み上げる。
これ以上に個性的な生き方は、他にないのだから。
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