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継続が目的になった伝統行事は生き残れるか?

この間。知り合いと話してる時にさまざまな伝統行事に関して、

「XXX保存会」とか「XXX伝承会」

といった保存を目的にした会が結成されている時点で、その伝統行事が生き残るのは難しいよね、っていう話題が出ました。

地方に多く残る伝統行事

地方には、様々な伝統行事が残っていて、秋田県は国重要無形民俗文化財が16もあって、これは全国一です。
とは言え、そこは人口減と高齢化が進む秋田県ですので、どの行事も担い手や、後継者が減ってしまって、どれもこれも存続の危機に立っている状況です。
そのため、各地域で行事を存続させるために様々な取り組みが行われています。

もちろん、こうした動きを批判したりするつもりは全くなく、本当に文化を残すためには何が必要か、ということをちょっと考えてみたいと思います。

担い手の確保

保存会のような会が立ち上がるというのは、そもそも、その伝統行事が存続できなくなる可能性が出てきたことを意味します。
多くの場合は、後継者の確保が難しくなってきたことが大きな要因にあるかと思います。

地方の人口減は深刻で、もともと生まれてくる子供の絶対数が少ない上に、例え小中高と地元の学校に通っても、その後、都会の大学に進学したり、県外の企業に就職してしまうケースが多いため、伝統行事の担い手が地方に定着できない状況は、ご存知の通り。

子供に参加してもらう

最近では、小中学生を中心に地域の伝統行事に参加してもらって、将来、地元に残れたり、もしくは地元に帰ってきた
時に、その伝統行事の担い手になってもらおうとう取り組みは各地域とも行われているようです。
これは、有効な取り組みの一つで、子供の頃、大人たちが行っている行事をただ見ていただけと、自分で実際に練習したり、参加した行事では、本人の中での意識に違いがでるのは間違いないと感じています。

問題は、このまま地方経済の疲弊した状態が続き、地方に若者が住めなくてはどうしようもないということ。
また、そもそも子供が参加できない伝統行事では、この取り組みはできません。
男鹿の場合、当然ですが子供がナマハゲをやるわけにはいきませんので。

行事の簡略化や変化

伝統行事には、古くからの習わしや風習が残っていて、その様式そのままに存続させるのが難しい場合、より簡略化したり、場合によっては行事そのものの形式を変更してしまう伝統行事もあるようです。

例えば、真夜中や早朝に行う行事を、昼間のより実施しやすい時間に変更したり。
昔は家の中にまで迎え入れて、お膳を用意していた行事を、玄関先で迎えるだけに簡略化したり。

ナマハゲ行事の変化

男鹿のナマハゲも、昔はお膳やお酒を用意して家の中まで迎え入れるのが普通だったのですが、今は玄関先で気勢を挙げるだけで終える地域や、家が増えたと聞いています。
お膳やお酒を用意するのが大変だとか、ナマハゲが暴れていった後の後片付けがよいでないとか、子供が泣き叫ぶのを見ていられないとか、理由はさまざまのようです。

こうした変化は、時代の移り変わりに伴うもので仕方がないと考えることもできます。
ですが、それによって伝統行事が変質していくことは認識しないといけないと思います。

家の中に入ってこないナマハゲは、昔のようにどこに逃げようが引っ張り出されて、しったげごしゃがれだ昔のナマハゲとはまるで違います。
おそらく、今の子供たちにとってはナマハゲも獅子舞もそう大差ない存在として認識されているように思います。
最近は、獅子舞すら見ることもないですが…

変質した伝統行事

ナマハゲの例のように、ナマハゲ行事の本質にかかわる部分に変化が起こっていることは、はたして伝統行事が継承されたと言えるのか、という疑問もあります。
本来であれば、子供に対して圧倒的な影響力があったナマハゲが、その原体験ともいえる部分で、子供の方に踏み込んでこなくなった今の状況では、昔ながらのナマハゲ行事は、既に途絶えてしまったと考えることもできます。

「保存」や「伝承」を重んじるあまり、その本質への問いかけが疎かになった伝統行事は、実はかなり多いのかと感じています。

ですが、そうした変質が悪いことだとは言えないかと考えてます。
自分が子供の頃に体験したナマハゲと、さらに100年前の子供が体験したナマハゲは、そもそも違う体験であった可能性は高いはずです。
それぞれの時代によって、それぞれの子供の体験が変わるのは当然だとすれば、今のナマハゲの変化もある意味同然の変化とも言えます。

大事なのは、長い時代を積み重ねてナマハゲ行事の中に込められた来た想いや、見識をなるべく残していくこと。

もしかすると、かつてナマハゲ行事が担ってきた体験を、全く違う体験が代替している可能性もあるのかもしれませんので、ナマハゲだけにこだわる必要もないのかもしれません。

自分も含めて、あまり自分の体験に固執すると、それこそ本質を見失いそうです。


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Published in ナマハゲ 田舎でこそ活きる

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