今年は、秋田で「国民文化祭」が開催されるということですが、はい、まったくときめいてません自分です。
というのも、秋田で開催されると聞くまでは、「国民文化祭」というイベントが存在すること自体全く知りませんでした。
おそらく、他県にとっては、今年は秋田でそういうイベントがあること自体知らない方が圧倒的に多いんだろうなぁ…と思われます。

もちろん、参加される方々、全国から集まって芸能を披露される方々にとっては、一台舞台でしょうし、そこは頑張っていただきたいと思います。
とはいえ、発表の場がこうした官製イベントに限られるようであれば、あまり望ましいことではないかと感じてます。

様々ある文化活動の重要性


文化といっても様々で、紙と筆さえあればできる創作活動から、楽器、衣装や音響舞台が必要な歌唱、芸能、そのほかほんとにたくさんの文化活動があります。
一人でもできるお金のかからないモノから、ある程度人数が必要で、かつこまごまとお金がかかるもの。

当然、お金がかかる文化活動においては、誰かスポンサー(もしくは自ら出資)が必要になるわけですが、国民文化祭のようなイベントがあれば、その多くを行政が負担してくれるわけで、これは非常に都合が良い。
とはいえ、文化活動としては非常に危険な構造であるとも思っています。

行政頼みでは活動は継続しない


行政に頼ることの一番の危険性は「継続性が担保できない」という一点に尽きます。
国民文化祭に限っていっても、おそらく関連予算の9割以上は、今年に限定された補助金で構成されてるはず。
今年認められた補助金の、大部分は来年以降に続くことはないと思って間違いないはず。

数年前、秋田市のオーケストラが市からの補助金の減額のために、大幅に活動縮小を余儀なくされたコトがありましたが、これは行政の補助金に頼ることの危険性を表した典型的なケース。
オーケストラとなると、個人としても、団体としても、けっこうお金のかかる活動なのは間違いないですが、だからといって、コンサートで大きく稼げるかと言うとそうとは限らず。
どうしても、団員の持ち出し+企業協賛金+行政補助金という構成にならざるを得ないのは、ある意味仕方がないことです。
ですが、たいてい景気が悪くなると企業も行政も、出資を渋り始めます。
結果として、活動を継続することが難しくなるのは当然のお話。

「理屈」では「文化を根付かせる」コトはできない


こうしたケースになると、自称文化人の方々は、オーケストラによる活動は、お金に換えることはできないから行政が支えるべきだとか、過去にこうしたプロ演奏家を輩出している実績のあるオーケストラを継続させる意義は大きいであるとか、様々な「理屈」を話し始めます。

ですが、ここで「理屈」を話し始めた時点で、それは「文化が根付いていない」ことを証明するものです。
「理屈」では「利害関係」を構築することはできるかもしれませんが、「利害関係なし」で支えてくれる「理解者」を得ることはできません。
オーケストラを支援することで企業としての評価が上がるであろうとか、行政の責任として文化活動を補助するべきであるという「理屈」において、重視されるべきは「支援」することと「補助」することであって、市民の中に音楽文化を根付かせるという本質的な部分の重要度は高くはないのです。
経済状況が悪くなれば、さっさと手を引かれてしまうのが、その証明です。

無条件に継続してこそ文化


文化として根付かせるということは、経済状況の如何に関わらず継続させることに大方の同意が得られるということ。
そうした経済状況でも、出資を継続してくれる支援者を得るということ。
自分たちの懐に影響があるとしても、その活動が、自分たちの暮らしに有益であることを共通認識ともってもらえるような状況を作ること。
そうした意識が市民の中に根付いてこそ、初めて文化と言えます。

そうした状況を作ることができずに、一部のヒトの間だけで活動を行っていては、長期にわたって活動を継続させることは難しく、それは只の趣味の活動でしかなかったということになります。
趣味の活動であれば、カネがなくなった時点で、終わりを迎えても仕方がないコトです。
あくまで、個人の嗜好の問題であって、市民文化の問題ではありませんから。

実際のトコロ、上から与えられるだけの消費を主体とした文化では、市民の中から新しいモノを生み出すような、本当の意味での文化活動とは縁遠いお話でしかないわけです。

きっかけは何でもよい


今回の国民文化祭は、文化を継続させることに関して果たせる役割は、非常に限定的ではありますが、何か文化活動にスタートさせたいと思っている人にとって、よい機会になる可能性はあります。

実際のトコロ、始めるきっかけはどんなコトでもいいわけですので、そうした人が、自分の興味のあるモノを見つけるチャンスにはなり得ます。
また、今まで仲間内の活動にとどまっていたヒトたちが、みんなの前で発表することを覚えて、それを継続できるような(補助金等に頼らない)仕組み作りに本腰を入れるかもしれません。

継続させることが目的にはできない官製イベントとしては、何を開催したかよりは、何をスタートさせられたかを基準に組み立てていければ、単純な動員数であるとか、よくわからない経済波及効果なんていう数字を並べるよりは、ずっと意義深い取り組みができるはずです。

まとめ


国民文化祭の対象としてのお話ではないですが、自分が常日頃から言っている「男鹿半島に自転車の文化を根付かせたい」という言葉の意図は、だいたい同じような感じです。

・行政や企業の補助に頼った運営をしない。
・参加者の出資(参加費)による運営を行うことで、参加したいと思う方がいる限りは、活動を継続できるようにする。
・なるべく地元のお店を案内し、過剰にパッケージしすぎずに、普段でも遊びに来てもらえるような構成にする。
・地元の店、施設との直接の接点を増やし、地元の人と、自転車で遊びに来る人の関係性を深める。

こんな感じで継続できるようにと、いろいろ模索しています。
正直、こういう目的で進めてはいますが、どのような形にすれば一番良いのかは毎回毎回悩みます。
おそらく正解も、ゴールも存在しないでしょうし、試行錯誤を繰り返す中でしか進む方向も見えこないんだと思います。

小さなサイクルイベントを回数多く開催しているのも、試行錯誤するには一番適した形だという考え方でそうしています。

自分の場合は、100%文化的な活動というよりは、今よりももっとたくさんの人が自転車で男鹿半島を訪れるようになれば、そこから新しい産業が生まれることもあるだろうという考えもあります。
ですが、経済的に継続しないモノは、文化としても継続しえないのも事実ですので、その線は崩したくないと思っています。

自分の大好きな自転車が、経済的にも、文化的にも継続できるように、いろいろやらなきゃならないコトもありますし、それができれば、5年後、10年後が楽しみでもあります。

以上。
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