自分たちの町を売り出そうとする場合に、ナントカの町っていう風に名乗るのが時々あります。

能代ならバスケだし、大曲なら花火。
これらは能代工業とか、全国花火競技大会とか、納得できる理由があります。
おそらく市民の方々にも違和感の少ないところでしょうし、もう核となる部分があるので、自分たちに何かを求められるコトでもないですし。

が、今朝の新聞を見ていたら、どこかの町のお偉いさんが、自分の町を「ダンスの町」として売り出したいというような記事がありました。
えぇ?
これって上手くいくはずが…ないですよね。

もしかすると、そこにはは古くから伝わる舞踊があって、それが現在のダンス文化を生み出しているという脈々とした理由があるのかもしれませんが、たぶんそんな感じじゃなさそーな気がします。

いや別に、ダンス自体が悪いというコトじゃないです。

変化を強要するのは文化的な方法ではない


問題は、ダンスの町という名乗り方をするコトは、市民に対して何かしらダンスに関連した行動を起こすことを強要するのとイコールだって言うコト。
ダンスの町に変わるために、市民が変わることを強要していることとイコールだと言うコト。
そして言ってる側は、強要していることに気付いていないコト。

これが仕事に直結し、収入の向上が見込まれる話であれば問題ないですが、いわゆる趣味の領域で、市民文化に関わる部分に、上から変化を要請するのは、いくらなんでも強引です。
これが市民に受け入れられて、本当にダンスの町として進められる可能性は、ほぼゼロでしょう。
これで出てくるモノは、文化でも何でもないですから。

こーゆーのは、市民の中から生まれてきたモノを地道に育てていって初めて名乗れるモノであって、上から目線で名乗ったところで、ほんの一部の賛同者だけが行動し、大部分の無関心な市民の失笑を買って終わりです。
これじゃー意味が無い。

文化を生み出すのに必要なコト


自分は男鹿半島で、ずっと自転車に関したアクションに関わる気でいますが、だからといって「男鹿は自転車の町です」という言い方はしません。
だって、99%の市民は男鹿半島を自転車で走ることに関して無関心です。
いまそんなコトを急に言っても、その99%の市民の失笑を買うだけ。

それよりも重要なのは、自転車で男鹿半島に来てくれる人達と、自分や、手伝ってくれるスタッフ、お店、お寺、農家、漁師の方々と、良い縁を結んでいくこと。
その手伝いをしていくこと。
それに尽きると思っています。

どんなに自転車の有用性を説いたり、経済波及効果を振りかざしたって、スポーツサイクルがどんなものなのか、それに乗っている自転車乗りがどういう人達なのかを、受け入れる地元の人が理解してくれなきゃ、名目だけ「自転車の町」にしたって何にもなりません。
そして、それを理解してもらうための方法は、本人どうしが会うこと以外にないんです。
だって、縁ですから。
まずはそこからスタートしないと、次のステップになんか進めるわけがない。

まとめ


自分たちの町に新しい文化を生み出したいと、ナントカの町という名目で売りだそうと思っても、行政や、それに連なる団体の方々にできることは、ほぼ無いと思います。
新しい文化を生み出すのは常に市民であって、そこでキーになって動くヒトが市民にいるかどうかで、ほぼ全ての可能性の有無が決定されると言っていい。

そうしたキーになるヒトがいない町では、新しい文化がおこる可能性も、限りなくゼロです。
こればかりは仕方が無い。

男鹿半島であれば、自分は自転車をキーにこれからも動きますし、他のジャンルで動いてるヒトも何人も知っています。
その意味では、男鹿半島は、新しい文化を生み出す土壌が出来つつある状況といえます。

全てのアクションが、必ず成果を出せるとは限りませんが、動き出す気配がない状況よりはずうっとマシですし、今はそうした新しい文化を生み出せる時期なんじゃなかと思います。

まだまだ先は長い動きではありますが、継続して頑張りたいです。

以上。
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