5年前といっても、きっかり特定の日付を指しているわけじゃ無いですが、首都圏でのSE暮らしを終えて地元に戻ってきてから、およそ5年ぐらいの年月が経ちました。

絶望的な5年前の風景


正直、5年前の男鹿を見渡した時の風景は絶望的。

これといった産業も何もなく。
大きく雇用を引き受けるほどの企業もなく。
農業、漁業は高齢化と後継者不足。
観光も余所と変わりのない代理店頼みの集客。
ナマハゲ、ナマハゲと呪文を唱えてなんとか持ってる状況。

行政は、工事と、補助金の分配に明け暮れ。
学校を卒業すると、市外、県外に出て行く子供達。

これらに何一つ有効な対策が取られることもなく。
なにより、この悪い流れに逆らって動く人が誰一人として居なかった。
そんな絶望的風景。

田んぼの中から始まった


ある日に、過疎集落の田んぼの中に喫茶店があるって聞きまして。
こんな田舎で、そんなもの成り立つわけないじゃんと思いながらも自転車に乗って出掛けて行きましたよ。
少し迷いながらも、果たしてその喫茶店はあって。
自分は生まれて初めて”美味しい”珈琲を飲んだというのが、なーんか始まりだった気がします。

その喫茶店はもちろん今でも変わらず、そこにあります。
その間に、男鹿半島の風景は全く変わりました。
そりゃ驚く程に。

カフェがもう2軒できました。
いやいや、この田舎でカフェ1軒あるだけでも凄いのに、今や合わせて3軒です。

自分で作った服を売って暮らしてこうって若者もいます。
この春から四苦八苦しながら、なんとかやってる模様。

妙にオープンで協力的なお寺の和尚さんと知り合いました。
それも3人も。

町内会を盛り上げるためにビール会を主催する人もいます。
主催なのに自分も飲んじゃうのはご愛敬。

なにかに、男鹿に声かけてくれる秋田市内のお仲間もたくさんできました。
中だけじゃ無く、外からの声って大事です。

自分も、サイクルイベントをスタートさせるきっかを掴めました。
今は小さなイベントですが、着実に継続させて、次のステップに進んでいけそうです。

他にも、他にも、いろんな、いろんな人が、それぞれ自分の立ち位置で頑張って動いているのが、ほんとによく見えるようになってきた男鹿半島の風景。

誰も地域活性化なんてやってない


別に、みなさん、地域活性化だ、これからの男鹿を発展させていくんだと、肩肘張ってやってるわけじゃないです。
自分が、ここで生きていくのに必要だと思うことを、みんながそれぞれ悩んで、考え抜いて、実行してるだけなんだと思います。
みんな自分のために一生懸命生きてるのが、まわりに広がっていって、広がった先でさらに誰かが何かを動かし始める。
ゆっくりと緩やかに動きが広がっていってるのは確実です。

余所の地域みたく、行政と一体になった動きもないですし、特定の団体が横の連携を持ちかけて、みんなで一緒にっていう感じでもなくて、ちょっと独特な動き方だと思いますが、自分は嫌いじゃ無いです。

こうした動きが男鹿市内の経済状況を好転させたかと言えば、それはちっとも好転させてるとは言いがたいです。
そもそも、男鹿にとって衰退、消滅という流れはもう回避不能なところまで来てるとも言えます。
それを防ぐための、回避するための手立てを求めているわけじゃない気もします。

まとめ


やがて男鹿市が衰退して、どこかの時点で自分たちは男鹿半島から去らなきゃいけない時が来るんじゃないかと思っていた5年前。
今だって衰退、消滅の流れが止まったわけではなく、逆に加速してます。
思っていた以上早くに、消滅という単語が現実味を帯びました。

ただ、今は5年前と違って、その最後の消滅の時まで、しっかりと自分たちの足で、ここに立ってることが出来るんじゃないかと感じています。
自分らが、男鹿半島の最後の住民になれそうな気がしてます。

5年前とはぜんぜん変わった風景ですが、もう5年後にも、またぜんぜん違う風景が見れるんじゃないかと、ちょっとした期待と、消滅への大きな不安と、両方抱えながら、また頑張っていきたいです。

以上。



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