ネット上で話題になりました、ルミネのCM動画。
いろいろ批判を受けて、早々に謝罪して、引っ込めちゃいました。

これに関しては擁護する気もないですし、表現手法として、あまり考慮された内容でもなかったので、今回の経緯は当然と思います。

その一方で、今回の事案のようなケースが、最近すごく増えてる気がします。

1.何かをネットで公開

2.反論の声があがる。

3.ネット上で一気に批判の声が膨れあがる。

4.公開元が謝罪、撤収して事態を収拾。


この流れの定常化は…ちょっと拙くないですかね。
おそらくSNSをベースにしたコミュニケーションの特徴なんだと思いますが、このへんは意識しておくべき。

一気に膨れあがる同調者達


一番怖いと思うのは、3.のステップ。

確かに、今回のように表現手法に問題があれば2.のステップで反論があがるのは当然。
以前であれば、この反論に対して、どのように対処するかで公開元のモラルや意図が明らかにされました。

ところが3.のステップでは、反論者以外の同調者が、反論者本人の声を遙かに超える勢いで膨れあがります。

これは、SNS登場以前にはそう簡単には発生しなかったコトで、ボタン一つ(いいね、RT、等)で、同意同調を示せるSNSの特性と考えられます。

もはや、この段階になると、膨れあがった同調者達を納得させる、いかな手段も存在せず、4.の謝罪、撤収以外の手段が無くなります。

表現は自由でなければいけない


日本は、表現の自由が保障された(最近、少し怪しくなってきましたが…)国家です。
自らの意図を、表だって声をあげて発することに法律上の縛りはありません。

もちろん、そこに声の大小(社会的影響力)などを鑑みたモラルや弁えはあって当然ですが、なお、それでも表現することの自由は担保されるべき。
たとえ、それが商用目的のCM動画であっても。

反論者が出ること、批判されることも含めて、コミュニケーションの場で解決されるコト(もちろん解決されない場合もある)が、両方の立場にとってメリットがある。

そのステップが、3.の膨れあがった同調者達の声によって一方の声だけで潰されることは、ネット上のコミュニケーションとしては、あまり好ましいコトとは言えない。

攻撃的同調現象とも言うべき、非常に攻撃性の強いベクトルが、その後にあるべき議論をすべて押し流してしまう。

この段階までくれば、公開元に対するあらゆる批判が正当化され、それに対する他者の異論の声ですら攻撃対象になるし、本来であれば自由なコミュニケーションの場であるはずのネット上で、意見封殺が行われてしまう。

これが繰り返されれば、ネット上で声をあげること自体に対して、公開者自身が萎縮するマインドが生まれてしまうし、闊達なコミュニケーションから生まれてくる新しい何かを生み出す土壌自体が破壊される。

常にネット上に攻撃対象を見いだそうとするかのような空気感は、ネットの未来に対してマイナスにしか思えない。

とはいえ一部の声だ


とはいえ、ネット上の世論なんて、全体からみればほんの一部。
ネットの世界で当然とされることが、リアルでけちょんけちょんに否定されることなんて、ザラです。

こうした攻撃的同調現象ですら、SNS蔓延期を特徴づける過渡的現象かもしれませんし。

パソコン通信の時代(2400bpsモデムとか)から、延々とネットコミュニケーションの世界に携わってきた目からみれば、隔世の感はあるものの、まだまだこの先に期待される未来があることも確認してますし。

追記:
念のため、最後にもう一度書いておきますが、今回のルミネのCM動画を擁護するような意図は全くありませんので、念のため。
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