持続可能な成長とは何だろうか、とふと考えてみました。
ふと考えてみただけなので、あれが悪いからこうすべきだとか、そこまで深くないです。
今日のところは。

モノを作って実現する成長


例えば、モノを作って、モノを売り代価をいただくケースで考えてみます。

モノを売るためには、まずモノを作らないといけません。
モノを作るためには、材料も必要ですし、機械を動かすためには燃料も必要です。
当然、大量にモノを売るには、大量の材料と燃料が必要になるということです。

問題は、その材料と燃料をどこからどのように調達するのか、ということ。

農業のように、水と土と太陽があればモノを作れる業種もありますが、一般的な工業ではそうもいきません。
材料も燃料も、海外からの輸入が大半を占めます。

ということは、持続可能な成長とは、継続的に資源(材料と燃料)を調達することが大前提になります。

資源が足りない?


ここで一つ大きな矛盾に突き当たります。
モノを売るためには、買う人の数はなるべく多い方がいいのは当然です。
ところが、地球上で採掘可能な資源の量は、その人たちすべてにいきわたるだけの量には不足します。

簡単な例で言うと、地球上で一年間に採掘される資源の量では、中国やインドといった途上国すべての人に先進国並みの暮らしを実現させるための量に足りないのです。
結果として、持続可能な成長という言葉は地球の全人口を対象としたものではなく、一部に資源の渡らない貧困層を残した上でしか実現しないという矛盾を抱えた言葉と言えるわけです。

資源小国が抱える苦悩


別に、地球上のすべての人間が同じレベルの経済的な豊かさを享受できる社会ではないことは分かっています。
それを実現することが、必ずしも、すべての人の幸せを実現する手段ではないことも分かっています。
ですが、少なくとも、先進国に住む我々は、自国が「持続可能な成長」を続ける限りは、世界のどこかに資源を搾取される貧困層を生み出すことも意識しておくべきだと思います。

それは、将来的には平等な社会を作り出すべきだというような偽善的な発想ではなくて、今の構造はたまたま、先進国と途上国という作りになっているだけで、今後もそれが続くとは限らないから。
日本に限って言えば、いつ資源不足に陥ってもおかしくないですから。

いま、世界中で資源の価格が高騰しているのはご存知の通り。
我々、雪国では灯油の値段もあがって、いい迷惑です。

ですが、市場のメカニズムに従えば、資源を必要としている国が増えれば価格が上昇するのはあたりまえです。
残念なことに、日本は資源を持たない国ですから、今の産業構造のまま「持続可能な成長」を目指すことは、かなり危うい道のりであることは自明です。

量ではなくて、質で評価する成長


そうは言っても、稼がなければ食っていけないというのも事実ですし、「成長」が必要ないということもありえません。
何とも難しい状況に立たされていると言えます。

一つ言えるのは、今の製造業のような「資源」の確保が絶対条件となる産業を国の基幹に据えられる状況は、そう長くは続かないだろうということ。

これからは様々な変化を受け入れる必要があるはず。
金融や情報といった、「資源」が必要ない産業を主軸にするとか。
養う人口自体を減らして、「成長」への依存度を下げるであるとか。
なんかいろいろ。

明治以降、ずーっと続いてきた「成長」も、その量だけでなく、質を評価していかなければいけないのか、と感じるこのごろです。

半端な文章ですが、今日のところは、まず、以上。
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