情報化の時代はもう終わったんだろう。

正確に言えば、「情報化だけに頼った時代」の終わり。

今までは、何かの情報をパッケージ化してネットやメディアに送り出すことで、情報を届けることができた。
受け取ったユーザーも、パッケージ化された情報を解凍して、自分の好みや都合に合わせて、行動をデザインして楽しむことができた。

情報の送り手→情報の受け手

情報化→行動デザイン

こうした行動をそこそこコントロールできたわけだが、今後この仕組みだけに頼った行動には限界が来る。
というか、もうとっくに来てる。

多元化した情報発信


まず、ネットの発展で、情報の流れは送り手→受け手という単純行為ではなくなった。

送り手が出すオフィシャルな情報に加えて、ユーザー自身による発信をユーザーが容易に検索できるようになった。
これにより、都合のよい情報だけをパッケージ化して送り出すことが不可能になったし、仮にそれを行ってしまうと実際に訪れたユーザーとの情報に齟齬が出る。
それはユーザーに対しての不誠実ということになり、大幅に評価を下げることになる。
これは致命的だ。

情報を送り出す側は、ユーザーからの情報との整合性を気にしながら、相互に補完されるような調和性の高い情報提供が求められる。
都合のよい情報だけでは、誰も信用しなくなることを肝に銘じないといけない。

深い体験を求めるユーザー


ユーザーの行動体験も変わってきた。

以前であれば、おいしいお店の情報を探し出し、そこでおいしい食事を味わうといった行動が、行動デザインの基本だった。
すぐに恩恵を受けられる情報にこそ価値があり、面倒な手続きや、事前準備を要する情報の価値は低かった。
結果的に、即物的な情報が世の中に溢れ、「美味しい」「楽しい」「安い」「簡単」というような評価だけがもてはやされた。

確かに、そうした楽しみもあるだろうが、人間の知性はそれだけでは満足できない。

もっと、じっくりと取り組んだり、苦しい障壁を乗り越えたり、深い知識を求めたり。

誰もが楽しめるコトだけではなくて、自分だけが、自分の努力の上で得られる楽しみに満足感を求めている。
この満足感は、即物的な満足感を遥かに凌駕して、その人の心の中に残る。
また、ここに来たい、ここで楽しみたい、ここで頑張りたい、という欲求を掻き立てる。

いわゆるリピーターと呼ばれる人が、何度でもそこに来てくれるのは、こうした体験によるものだ。
すべてを提供するのが、よいサービスではないことは忘れちゃいけない。

何を深めていくか


都会の有名店であれば、膨大なリサーチ費用をかけてマーケティングを行うことも可能だが、田舎の小さなお店ではそれも難しい。
それでもネットでのエゴサーチは可能だし、簡単なアンケートや、意見記入をお願いすることは可能だろう。

ユーザーが何を求めているか。
それを深めるためには何をすればよいか。
それを探る努力は、今まで以上に気を使わないといけない時代ではある。
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