どうせ叶わない望みだから…とか。
自分のコトより、他人のコトを優先しないと…とか。
自己中心なのはいけない…とか。

そーゆーお話じゃ、なくて。

自分の望みをハッキリ明言するのは、社会の為、全体利益になるコト。
それを秘めて生きるのは、よくない。

社会は、みんなの望みでしかない


社会というのは、そもそも個人の集合体。
ゆえに、みんなが望む社会というのは、みんなの望みが叶えられるような素性を持った社会と考えるのが自然。
というか当然。

みんなの望みが叶えられるには、みんなが自分の望みをハッキリと明言しないことには始まらない。
もちろん、明言したからと言ってすぐに実現するものじゃない。
が、心の中に秘めていては永久に実現するものでもない。

みんなが遠慮して自分の望みを隠していたら、誰一人の望みも叶わない悲しい社会が実現される。
それはイヤです。
息苦しそうでイヤ。

本音を隠した社会


今の世の中、誰もが自分の望みを言わない社会になってるっていう実感をヒシヒシと感じてる。

単純に、カネやモノを手にいれたい、っていう「欲求」はあるんだろうけど。
それは「望み」じゃない。

どんな生き方をしたいか。
何を実現させたいか。
何に人生を賭けていくか。

そうした、本当の意味での「望み」を、表に出さない事がデフォルトになってる気がする。

誰もが本音を語らない。
建前だけで作られた社会。

自分としては、この2行だけで、胃袋の脇が気持ち悪くなるような、そら恐ろしい感覚あります。
今の日本の政治、行政をはじめ、社会を形成するルールと不文律の両方が、建前だけで雁字搦めにされてる気がする。
間違っちゃいないけど、軽くて、冷たい。

これは、そーとー生きづらい。
活きづらい。

望みぐらい、言おうよ


誰もが本音で語りあえる…だと、ちょっと気味悪いんで、そこまではいかなくてもいい。

自分の望みぐらいは、ハッキリ明言できるぐらいの世の中にはなってほしい。

自分は、こうして生きたい。
彼は、これを実現したがっている。
彼女は、あれに人生を賭けている。

そのぐらいの生き様は、皆がお互いに見せていいんじゃないか。

実現できるかどうかは関係ないし。
失敗したら恥ずかしいから、こっそりとかじゃなくて。
生き様なんて、そもそもみんな恥ずかしいモノだし。

誰もがそんな生き方をして。
誰もがお互いに世話になって。
誰もが男鹿対に世話をして。

そのぐらいの関係性がないと人生はつまらないし。
社会は息苦しい。

もっと、楽な社会で活きてけるといーなー。
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