ちょいと(技術的な)トラブルありまして、サイトデザイン再変更してます。
まだモバイルでの表示が気に入らないので、時間のあるときに変更すると思いますが、しばらくこんな感じで。

閑話休題

「これからは自給自足」的な話をすると、そんなんで国が維持できるわけがない、経済発展なしに、この国は維持できない。

そんな話し方をする人もいますが、それはそうです。

自給自足だけじゃ、世の中のインフラを維持するコストすら捻出できない。
自分も好きな自転車を賄うコストも支払えないし、こうしてブログを書くためのPCだって入手できない。

別に、江戸時代の暮らしに逆戻りしようなんていう提案をしてるわけではない。

組み合わせてバランスを取る


ようは、今まで人類が暮らしてきたフォーマットの中で、都合のよい部分をバランス良く組み合わせて、いいとこ取りをしよう…っていうお話。

100%自給とか。
100%消費経済とか。

そーゆー極端なコトはやめよう…と。

実際のトコロ、日本は戦後おおまかには経済発展をしてきたコトで、円の価値が暴落する…っていう経験がほぼない。
けど、それはあり得ないコトでもない。
どんなに賢い人達が政治をとったとしても、外的要因によって誘発されうる事態ではある。

そうなった時に、一番窮するのは食料と、エネルギー。
どんなにお金を積んでも、食料も、エネルギーも手に入らなくなる。

こーした、自分達の力ではどうにも制御できない事態に対してのセーフティーを、なるべく身近な場所に用意しておいた方がいいんじゃないの…というのが、自分の考えの基本。

特に食料は、今の輸入頼みの状況のまま、ハイパーインフレなんかが起こったら、都市生活者の大半が飢餓に直面する。
たぶん、それはあっと間におきる。
いざ起こってから対応してたのでは、まず間に合わない。

そのために今から選択肢を用意しておかないといけない。
生きていくために。

バランスは各自が判断すれば良い


大事なのは見極めること。

自分にとっては、何を自給して、何を稼ぎによって賄うか。
その見極めをした上で、バランスを取ることが大事。
極端にどちらかに降ることは好ましくない。

農村、漁村であれば、「自給」側のバランスを多めに取ることもできるし、逆に都市生活者はよほど工夫をしないと「稼ぎ」に頼った生活をせざるを得ない。
無理矢理「自給」側に降っても、結局無理をして続かなければ意味はない。

今の時代、所得と消費が1セットしかない生き方がスタンダードになっている感じがあるが、これは経済的に大きく発展した時にしか機能しない。

上がったり、下がったりする経済に対応できる、より足腰の強い経済基盤、自給基盤を整えておくコトが必要になってきたというわけ。

食料の入手経路


「食料=カネ」という図式が一つしかないというのは、凄く危険なコトだ。

「食料=自家栽培」、「食料=山海で採取」、「食料=お裾分け」、「食料=物々交換」、と様々なバリエーションがあるといざというときに対しての安心感がぜんぜん違う。
「自給」というのは、何でも自分で作るという意味とは違って、ある地域の中で、身近に必要なモノを融通しあう、理想的なコミュニティ形成というのに近いかもしれない。
このへんを勘違いしてしまうと、妙な方向に話がずれそう。

そもそも、新鮮な食材というのは、それだけですごく美味い。

大量生産された食材は、不味くはないが、添加物で整えた味はどこか画一的で、違う食料を食べてるはずなのに、同じような味わいしかしないことは多々。
このへん、田舎の新鮮な食材に慣れた人は敏感だ。

柔軟な自給の定義


都会の中で、こうした図式を多く持つには、逆に妙なコストがかかって効率的ではないが、男鹿半島のような田舎であれば、ごく簡単に形成できる。
こうしたセーフティーがあるのとないのとでは、将来に対しての安心感が全然違う。

こうした生き方の選択肢は、住む場所、住む時代、住む人によってぜんぜん違ってよいと思う。
よろしくないのは、現状のみが正解で、それ以外の選択肢を否定してしまうこと。
人類が数千年の文化の中で編み出してきた、多様な生き方は、現代を生きる自分達にとっては、またとない教科書。

今なら、どの選択肢を選んで、どうバランスさせるのがいいか…じっくり考えてみていい時代だと思う。
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