ayamarihanai

別に、この事件において政府や政治家に大きな責任があるとは思ってませんが、わざわざこうした検証委員会を設置した上で、「誤りがあったとは言えない」というような総括をする…っていうコトに、何か今の日本の病理のようなモノが見え隠れしてる気がしてます。

「誤りがなかった」からは改善が生まれない


結果の如何に関わらず、「誤りがなかった」という総括を出すとコトは非常に危険。

「誤りがなかった」のだから、次に同様もしくは類似の事案が発生した場合は「誤りがなかった」今回の事案に沿った形で進める…というコトになる。

言わずもがな、今回の事案において目的は一切達成できていない。
次の事案において、今回と同様の対応をしてしまっては、今回よりも良い結果を導き出すことは当然できない。

責任の所在云々は別として、今回の事案は失敗事例としてカウントするべきであって、これに「誤りがなかった」という総括を下すことは、ただでさえ前例踏襲を尊重する組織においては、対応能力の硬直化に繋がる。

おそらく実際の検証においては、問題点、課題、改善点、対策など多岐にわたって議論はされているものと思われる。
そうした重要な内容に替わって「誤りがなかった」という総括で締めくくられると、検証を行ったコト自体無意味になってしまう。

こうした総括は、決してするべきではない。

「間違っていない」を重視する社会


まぁ、今回だけに限らず、日本の様々な組織なり、個人なりに、「自分は間違っていない」ことを重視する風潮があるコトは間違いない。

それも、特に年配の方々には多いように見える。

要因のひとつに、これまで日本の社会を担い、支え、作り上げてきた世代にとって、今の日本の状況は、決して手放しで褒められる状況にはなっていないことがあげられると思う。

個人としては、一生懸命に働き、それなりの稼ぎから、十分なモノを手にいれてきた自負があるものの、次に連なる世代が、これほど苦しんでいるコトに、安易に納得できない気持ちがあるのは確かなのだと思う。

自分達が一生懸命に働いて作り上げてきた、この社会は、何故にこうも次の世代において上手く機能していないのか…自分達は間違った方向に進んできてしまったのではないか…と。

とはいえ、もう一度やりなおしが出来るわけも無く、今の年齢で再び社会の中核を担えるわけもなく。
そうした忸怩たる想いが生み出した風潮が、「自分は間違っていない」という主張や証拠、総括を求め、認める方向へのバイアスを強化しているように思う。

上の「誤りがあったとは言えない」と総括が出てしまったのも、そうしたバイアスのかかった結果だと考えられる。

まぁ、上の世代は、もうしょうがない


正直、そうした社会を硬直化させかねないバイアスは、我々にとっては非常に迷惑。

現状、上手くいっていない世の中を、少しでも生きやすくしようとする動きを止めさせかねない。
できれば、そうしたバイアスを自覚した上で「もう好きにやって良いよ」と言ってくれるとありがたい。

とはいえ、止めてって言っても、止めてくれるない方々も多々いるだろうし、それはもう無視するより仕様が無い。
上の世代から、そうしたバイアスに基づいた指摘を受けたとしても、もう昔話ですねと流すしか無い。

おそらく上の世代の方々も、若い頃にはそうしてきただろうし、そこは我々も真似させて頂く。
そうしないと、生きていけない。
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