ここ数日、大阪都構想断念、大阪市長政界引退のニュースが賑わってます。

都構想自体の評価や、現市長の今後の動向自体はさほど興味はないですが、現市長の会見で見せた、コトは尽くした…という表情は印象的。

コトは尽くした


自分の思うトコロを忌憚なく世の中に披露し、それを自分がベストと思う方法で世の中に問い進め、それが達成できないという状況になったら、躊躇せずに身を引く。

引き際の美学みたいな話をする人もいるだろうけど、そうではなく。

ここで身を引けるという覚悟ができていたのも、今、自分にできるコトはし尽くした…という実感があるからだろうと思う。

自分の思うことを為すためには自分が動くしか無く、その正当性を担保するのも自分一人いれば十分という覚悟があればこその、今までの行動だったんだと思う。

主張への賛否、行動の是非についてはともかく、そうした覚悟の持ち方は凄いなぁと思う。

「みんなで」よりも「自分が」


最近、いろんな場面で言われる「みんなでやるコト」よりも「覚悟を持って自分が動く」ことの重要性を改めて認識させられる。

「皆で決めたコト」に意味がないとは思わないけれども、「皆で決めたコト」が正しいことであるとも限らないし、「皆で決めたコト」が成功するとも限らない。

逆に「皆で決めた」が故に、エッジのない無難な取り組みになりやすかったり、責任や作業分担が曖昧になりがち。
特に、「皆で」の示す人数が2ケタを超えるような場合は、大抵においてデメリットの方が先行するような気がする。

つい最近も、そんな取り組みに土壇場で巻き込まれたり…あれはキツい。

先にも書いたとおり、自分の意見や行動の正当性を担保するのは、自分一人いればいい、という覚悟を持ってないと、この先の時代はまともに生きていけない気がしてる。

その意見や行動が、他のヒトに受け入れられるかどうかは、他のヒトが判断することであって、自分で評価することではない。
もちろん、他のヒトの評価を恐れて、何もしなければ、何の結果にも繋がらない。

世の中に「正しい」意見も存在しないし、必ず「成功」する行動も存在しない。
何が「正し」くて、何が「成功」するかを教えてくれるのは、自分の意見に基づいた、自分の行動と、それに対する他のヒトによる評価でしかない。

そこは抑えておかないと。

否定されることを恐れてちゃダメだ。

言うのは簡単、書くのもイージー


とはいえ、こんなブログで、うだうだ書くだけなら誰でもできますからね。

あいつは口先だけだ…なんて言われないように、自分が思うことはきちんと口にして、自分自身が率先して動けるようにしていきます。

商売の才能には乏しいので、あんまり世の中の為にはなれそうな気はしないものの、それはそれで何かしらの文化や痕跡を残していけたらと思う。

いついかなる場合も、自分一人でやる必要はないにしても、自分一人の責任において、自分一人でコトに取り組むという経験は、誰しもあっていいと思う。

いつでも、どこでも、誰かの意見に対してのオブザーバーであったり、誰かの行動のヘルプであったり…というだけでは、あまりに人生が寂しい。

誰しも、勝負所は必ず来る。

そんな気がするニュースでした。
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