伝統文化、伝統芸能、昔から大事にされてきた習慣、風習、お祭り。

そうした物を語るときに「変わらない」ことに価値があるという言葉がよく聞かれる。
それは、そういう価値観もあるのだろうと思うけど、自分はそうは思ってない。

この「変わらない」ことを疑ってみる。

「変わらない」ことが本当によいコトなら、なぜ冒頭にあげた伝統的な行事や文化、製品が、どんどん廃れていくのか。

本当に「変わらない」ことがよいコトなら、もっと多くの人の心に根付いて、たとえ経済的に割に合わないコトであっても、もっと盛り上がっていていいんじゃないか。

いや、価値があるなら、経済的に割に合わない状況になるコト自体が不条理だ。

視点を変える。

本当に変わらなかったのか?


今に伝わる伝統的な行事や文化、製品が、例えば300年前、でなくても100年前でもいい。

その時と比べて一切変わっていないのだろうか?

おそらく何かしらの変化はあったはず。

職人の技術継承にしても、受け継ぐ人間の得手不得手によって変化はあったろう。
材料の入手においても、必ずしも昔と同じ物が入手できてるわけではない。

伝統行事にしても、時の政治や社会形態、産業によって、その行事の価値は大きく左右される。
その時々の状況に応じて、行事の内容や質は変化してきたのではないか。

おそらく、アウトプットになる部分、製品であるとか、行事当日の出し物に関しては大きな変化はなくても、それを可能にするまでのプロセスには大きな変化があったと考える方が無理筋がない。

逆に言えば、行事や文化、製品を変わらずに生み出し、継続していくためには、そのプロセスには大きな変化を受け入れるだけの柔軟性が必要だと考える。

変わるからこそ受け継がれる


今の伝統的な行事や文化、製品に関しての大きな勘違いは、アウトプットからプロセスに関してまで、すべてが昔ながらの方法を守ってきた故に生き残ってきたという考え方。

今現在のスナップショットをとって、それを永久に繰り返すことで、それが永久に保存されるという、まるで博物館のような考え方。

何事においても変化のなくなったモノやコトは、環境の変化によって淘汰されるのが道理。

変わらなかったから続いたのではなくて、柔軟に変わることができたから続いてきたのではないか。

そうして、人や環境の変化を恐れずに、柔軟にプロセスや価値を変え続けられたモノやコトだけが生き残ってきた。

受け継がれてきた。

本当に価値があるのは


「変わらない」ことに価値があるのではなくて、大きく変わってきた中で、それを支えてきた「何か」にこそ価値がある。

変化を恐れない柔軟性の中でも、その根底で変わらなかった「何か」を見極めるコトができなければ、伝統的な行事や文化、製品を残していくことに意味はない。

「変わらない」ことに囚われない。
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