他人に迷惑をかけずに生きることは理論的に不可能だ。

他人から行われた行為を、ありがたく思うか、迷惑に思うかは、行為を行われた側が判断するものであって、行う側には決定権は無い。

したがって「他人に迷惑をかけていない」と、自ら主張できる人間は、世の中には一人もいないというわけだ。

そう強く主張することは、傲慢とも言える。

実際のトコ、相手の好意からくる行為であっても、その全てがありがたいわけではない…というのは、誰もが生きてるなかで実感してる。

故に「相手の迷惑を赦す」というのは大事。

生きていれば、誰しも誰かに迷惑をかけているのだから。

その全てに反論し、反撃したら、世の中は争い事で埋まる。

相手の心情や状況、立場などを汲んだ上で、赦せるコトは赦さないと世の中は回っていかない。

「赦す」なんて単語を使うと畏まるかもしれないが、「お世話になっている」という単語に置き換えれば、皆納得するだろう。

「迷惑をかけたくない」
「迷惑をかけていない」
「迷惑に思っていない」

こうした言葉を話すのは、他人との拒絶を指向している時の特徴的言動なのかもしれない。

もっと、どんどん迷惑をかけていいと思う。

社会で生活している限り、人に迷惑をかけずに生きていくことは不可能だし、誰にも迷惑をかけていないことを論拠に勝手な行動を正当化するコトも許されない。

相手からの「赦し」を得ることと「世話になっている」ことを認識しながら生きていくしかない。

そうしないと、何ひとつ先には踏み出せない。
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