伝統行事や風習なんて、時代が変われば変質してくことは前提にあるとしても。

今のナマハゲに魅力を感じられなくなりつつあるのは間違いない。

凄くいいヒトになってきちゃったんですよね。

今のナマハゲの役回り


子供の躾や、親子の絆。
交通安全、信号を守ろう。
明るく元気に挨拶を。
ようこそ男鹿へ。

などなど。

いやぁ…200年前の菅江真澄の記録の中には、そんな記述は全くないんですけどね。
なんか明治に入った頃には、あまりの悪辣非道な行事の内容に、官憲とだいぶ揉めたような話しも伝え聞きますし。

変わるのは仕方ない


単純な話、人間は慣れる生き物。

観光や教育に活用されるナマハゲの姿に1年中触れてしまえば、1年に1回しか行われない大晦日な行事の方も、それに引っ張られて変質するのは、それはそれで仕方がない。

男鹿に住んでる人間自身が、ナマハゲの変質を加速させてる。

それはまぁ、誰が悪いという話でもない。

でも、なんかそれってつまんなくないですかね。

悪いモノが存在しない世界の不気味さ


人間なんて、ある程度集まれば、中には良い人もいるし、悪人もいる。
1人の人間の中でも、良い部分もあれば、悪い部分もある。

ナマハゲは、悪い部分担当だろうに。

ホントはイイヒト的な背景や、ヒトを戒めるために存在する的な訓のなかに押し込めて、ホントの魅力をスポイルしていないか。

誰もが良い人、何もかもが良いモノだなんて、そんな世界は不気味じゃないか。

魅力的な悪


一方的にヒトに害悪をなす存在。

もっとギリギリの命をやり取りする存在。

人間のちからでは太刀打ちできない、圧倒的な暴力的存在。

そんな存在を、民衆自体が生み出して、男鹿半島全域に広まっていったコトに魅力を感じはしないか。

そんな自らを滅するような存在を、自ら生み出す民衆文化に魅力を感じはしないか。

何が正しくて、何が本当なのかは、今となってはそんなに重要なコトではないけれど、ナマハゲの存在そのも以上に、それを生み出した文化背景というのは注目されていい。

そのあたりの魅力を深めてみたいな~
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