民主主義とは多数決のコトである…というのは間違い。
少なくとも自分はそう思う。

決定に関わるサブシステムでしかない


「何かを決める」というのは、凄く大変な行為。
それが個人であれ、組織であれ、国家であれ。
エネルギーもリソースも大量に消費する。

個人の場合はともかく、組織や、国家において、その責を長一人で背負うのは、あまりにも過酷。
それを次々と行い疲弊していくコトで、徐々に長の判断力は削がれていく。

多数決というのは、その責を全体で分担し、長の疲弊による組織の劣化を防ぐためのサブシステムでしかない。

あくまで個人を活かし、組織を潤滑に動かすためのサブシステム。
途中の議論の積み上げを促し、考察を深めて、全体として良い結論を導き出すためのもの。

故に、多数決で意見を採択されなかった側であっても、良い結論に到達することに寄与しているし、その内容には納得の上で従うこともできる。

多数決で意見を採択された側も、反対意見があったことを一定程度考慮できるだけの理解が深まる。
意見が異なる人どうしでの議論のバランス感覚が養えれば、次の案件でも、もっと良い結論を導き出せる。

良い結果を導き出すのが目的であって、数の多い方の意見を一方的に採用するのが民主主義では無い。

民主主義に勝ち負けは存在しない


今現在、この国や組織の多くのシステムが、どのように民主主義を進めているのかはご存知の通り。
多数派にしろ、少数派にしろ、結論よりも勝敗で民主主義を語ってるようにしか見えない。
「俺が、俺が」「私が、私が」という自己顕示欲の強烈な発露の場にしか見えない。

今回は自分の意見を通したのだから、次は相手の意見を尊重しようとい態度の人を見るのも稀。

硬直的な意思決定プロセスが定着して、新しい動きを「少数派の反乱」としてしか捉えず、「次の時代の萌芽」とは捉えない。
その時点での揚げ足取りに終始し、未来の変化や向上の可能性を信じない。

これでは個人も、組織も、国も劣化していくしか無い。

民主主義の寿命


民主主義で、一番肝要なのはバランス。

手法はどうあれ、常に同じ側の決定だけが通るというのは、相手側の不満の樹を大きく育てる結果にしかならない。
そうした樹が成長していった先の行動は予測不能だ。

場合によっては、民主主義であるまじき、法治国家であるまじき、そうした過激な行動を誘発しかねない。
結果として、民主主義の寿命を縮めるだけだ。

多数決というシステムであったとしても、少数派の意見が尊重されないような人や組織に対して、信頼は生まれない。
常に意見の異なる結論を押し付けられたら、それを理不尽に感じることは当たり前だ。

そうした人間が、次第に政治や民主主義から遠ざかって行くことは当然の行動。

若者はシラケているだけ


若者が政治に関心がない…というのも考えてみれば当然。
たとえ彼ら皆んなが投票に行った所で、人口ピラミッド上で少数派であることには変わりはない。

その状況で、結果には反映されないけど、若者も選挙に行かないといけませんと繰り返してる人々は、やはり無責任だ。
彼らの意見が尊重されるには、今の人口ピラミッドの多数派世代が、全て鬼籍に入るのを待つしか無い。
その間、何十年も我慢なんかしてられるわけがない。

学校では、常に論理的で、効率的で、要領よく行動するのを教育されてきてるのに、社会に出る(選挙権年齢に達する)と途端に、上の世代から理不尽を押し付けられる。

そりゃ、シラケますよ。

いっそ宇宙にでも移住しようか


日本は、法治国家で、治安もいいし、生活レベルも相対的には高い。
世界の中でも、かなりマシな国であることは確かだが、こと民主主義という観点でみれば、まるでシステムを構築できていない。

多数派が勝つのが民主主義では無い。
それを理解できる人が今のままだったら、日本の未来はそーとーに暗い。

とっとと、どっかに移住した方がいいのかも。
宇宙とか移住できたら面白いかな。
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