個人的にはスポーツ観戦は大好きだし、中継を見るのは楽しい。

結果如何にかかわらず、出場した選手には敬意を払う価値があると考える。

でも、こうもスポーツ観戦コンテンツが大量生産、大量消費されるオリンピックを見てると、ちょっと変じゃない…と思うことはある。

3位決定戦…って


要らないんじゃない?

多くの対戦競技においてトーナメント形式で順位を決定するわけだが、トーナメントというのは、1度負けた選手(orチーム)は、そこで脱落。
最後まで、たったの1度も負けなかった、たった1人の選手を決めるのがトーナメントという対戦方式。

つまり決勝を前にして準決勝で敗れた選手は、すでにトーナメントから除外された選手。

1度負けた選手が2チーム対戦して、3位を決めるっていうのは何か無理やり感が否めない。
銅メダル授与者を決めるために無理やりやってる感じ。

勝者は一人


表彰台って1位だけでいいんじゃないかと思う。

実際、競技によっては表彰されるのは一人だけの競技はある。
(オリンピックだと無いかな?)

有名なトコではIndy500は表彰台は一人だけ。
2位のドライバーは「Fastest Looser」、最速の敗者とされる。

勝者になれなかったという意味では、2位も最下位も変わらないという考え方。

このへんは考え方の違いもあるだろうが、表彰台が一人だけというのは、それだけたった1人の勝者の価値が高まるわけだし、こうしたスタイルの方が自分は好き。

感動をありがとう…って


ここ最近のマスコミの造語の中で、なんとも押し付けがましいフレーズ。
「感動」するのは観客や視聴者であって、マスコミではない。

ついでに言えば、確かに感動的な、ドラマティックな試合展開が繰り広げられる場合もあるし、オリンピック以前からずっと応援している人にとっては、この舞台に立つこと自体がドラマという場合もある。

でも、大半の視聴者にとっては4年に1回のお祭りでしかない。
感動できるほど入れ込んでないだろうし、試合内容によっては興ざめするコトだってある。
そもそも詳しいルールなんか知らないじゃ…

せいぜい意訳するとすれば、普段はぜんぜんスポーツなんか見ない人でも、日本人がオリンピックで活躍するのを見て日本人が応援するのは、その行為自体がエンターテイメントであるからして、その素材を提供してくれることに感謝する…てな感じ。

それにしても感動する主体者は観客や視聴者であることには変わらない。

次は2020 TOKYOではない


今回のオリンピックで結果を出した選手も、出せなかった選手も、まだまだ次の大会というのがあるわけであって、今回で終わりじゃない。

ただ、多くの選手が次…と言われた時に「2020 TOKYO」を口にする。

次は「2017 世界選手権」なんじゃないの?

確かにオリンピックの時しか注目が当たらない、オリンピックの時しか中継が行われない競技が多いので、必要以上に4年後のオリンピックを意識するんだろうけど、実際は1年1年の積み重ねがなきゃ、4年度のオリンピックだって無いんだし。

次は「世界選手権で、ぶっちぎりで優勝します」ぐらいのコトを言ってくれる選手は頼もしいなと感じたりする。

選手は素晴らしい


いろいろ外野がうるさくなるオリンピックですが、選手は素晴らしい。
メダルを取ろうが、逃そうが。

競技の中で、自身の裏も表も、知性も理性も感情も、余すところなくさらけ出し、全力を出し尽くしてなお、たったひとりの例外を除いて敗北することを受け入れる覚悟というのは並大抵のことじゃない。

願わくば、そうした選手の試合内容に、今以上に注目が当たるような舞台が準備されるコトを望みます。
オリンピックは、他の思惑の方が大きくなりすぎました。
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