自分の目的を達成する方法は2つあって。

ひとつは正論に従って、厳しく進めていく方法。
ひとつは欲求に従って、自由に進めていく方法。

どちらにもメリットがあり、デメリットがあり、どっちがいいかという話ではないが、前者の方が厳しいのは確か。

自分にとっても。
他人にとっても。

厳しい正論


正論というのは、まさに正しい論。

論拠に基づいて積み上げた理想状態。
人が、本来、そうあるべき…とされる状態。

これを目指すのは、かなり厳しい。

何が厳しいかと言えば、その状況が達成されるまでの、すべての時間が「未達成」の状態とカウントされること。

どれだけ努力して、どれだけ積み上げても、すべてが達成されるその瞬間まで、正論からは「まだ足りない」という事実を残酷に通達され続ける。

負債を返し続けるかのような心理的負担はそーとーのモノになる。

もちろん、達成した瞬間の充足感はなにものにも替えがたいが、それも一瞬のコトとして過ぎ去り、また、次の正論がやってくる。

世の中で大きなコトを成し遂げたり、大きな賞賛を浴びたりするタイプの人は大抵このタイプのように思える。

とはいえ、こーしたやり方に耐えられる人は、そんなにはいないと思う。

もちろん、自分も無理。

欲求に従う


他方、その時の欲求に従って、目的・結果を明確に定めず、やりたい事を進めていく方式は楽。

正論とは逆に、努力して残した小さな結果は、どんなにささやかなものであっても「成果」としてカウントされる。

小さな「成果」の積み上げを喜びとして進んでいける。

正論を負債の返済にたとえるなら、こちらは貯蓄と運用ともいえる。

許されるのなら、この方式をデフォルトにして生きていくほうが、ずーっと楽だ。

もちろん、楽なかわりに落とし穴はある。

小さな「成果」に満足しきるコト。
満足して、立ち止まって、歩みを止めてしまうコト。

その瞬間に、自分自身が、そこで固定化されてしまうリスクがあることは認識しておかないといけない。

常に変化を求め、過去の成果に拘らず、新しい一歩を進むことだけが、唯一課せられたルール。

常に同じ者であり続けるコトは、できないのだ。

大事なのはバランス


自分は、正論の厳しさに耐えられる性質ではないので、圧倒的に欲求に従って生きてきたが、実際のところ、大事なのはバランスだ。

正論を一切合財無視しては生きてはいけないし、その時、その時に思ったコトを全く実行できない人生では、環境の変化にも対応できない。

どちらかの比重が高いということはあるだろうが、自分の生き方の、どの部分が正論に基づいたもので、どの部分が欲求から生まれてくるものなのかは、少し吟味しておいた方がいい。

そのバランスを間違うと、なにより自分に対して不幸を背負い込むコトになりかねないので。
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