世の中バランスだっていうのは、最近の持論。

最近は、一億なんとやらとかとかセンスの無いコトをいう方々もいますが、みんながみんな同じような枠にはめるっていうのは無理がある話。
多用な人を、どれだけバランスできるか。
その辺の話が抜けてると、ろくな世の中にならない。

稼ぐ人、稼がない人


経済の話をする時にだって、誰もがガンガン稼いでいける訳じゃないっていうのは、はっきりさせた方がいい。

運動能力が高い人、数学が得意な人、絵の才能に恵まれている人、それぞれ違いがあるのと同様に、稼ぐ才覚に恵まれている人、恵めれていない人というのは存在する。

稼ぐ人。
稼がない人。
稼げる人。
稼げない人。

それぞれ、当たり前に存在するコトを無視すると、この社会はかなり世知辛くなる。

稼げない人に対して、そんなのは自己責任だ、努力不足だと評するのは簡単だが、社会や時代、環境の変化ひとつで立場が全く逆転するコトも忘れちゃいけない。

稼ぐ人は、稼がない人がいることを常に意識しないといけない。
稼げる人は、稼げない人を常に包括して活動しないといけない。

それができない社会なんていうのは、どんなに数字の上で経済大国であったり、経済成長率が目覚ましかろうが、貧しい社会でしかない。
そんな弱肉強食のルールしか存在しないなら、自然の中で狩りの能力だけ競ってればいい。
ときどき自分が狩られるだろうけど。

経済はツールのひとつ


経済という力は、あくまでツールで、そのものに価値があるわけではないのは自明。
稼げる人というのは、稼ぐことには長けていても、それ以外の面で優れた資質があるわけでもない。

一晩で巨万の富を築く才に恵まれていても、自分一人ではトマトの一つも育てられない。
地道に事業を拡げて多くの財を成したとしても、自分一人では科学技術の発展には何の寄与もしていない。
逆の立場から見てもしかり。

全ての事柄に対して才能がある人間も存在しない。
全ての事柄に対して行動を起こせる人間も存在しない。

それぞれの領分において、それぞれがベストを尽くすコト。
それが全体としてバランスさえしてれば、それだけで十分に魅力的な社会だと言える。
人間らしい社会だと言える。

この程度のコトが認められないのなら、まったく魅力は無い。
そんななら、山の中にこもって自給自足でもしてた方がはるかにマシだ。
原始生活ウェルカムだ。

正しく稼ごう


稼ぐコトが悪いという話ではなくて、稼ぐというコトは、稼がない人がいるというコトを前提にして成立しなければ意味が無いというコト。

そのバランスを持たない人が、自分の懐だけに、どんどん財産を貯めこむコトを稼ぐとは言わない。
それは蓄財。

財は社会に還元され、循環することで、初めて意味を持つ。
正しく稼がないと。
このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット