何かコトを為そうと動き出したときに、それ責任持って最後までやれるのか?っていうご批判受ける場合がある。

仮にスタートする時点で、最後まで継続する可能性がほとんどない(補助金頼みとか…)ようなプロジェクトならともかく、最後までやれるかどうかなんて、神様だって知らないし、お釈迦様だって分からない。

自分で継続できる見通しが立てられるだけのプロジェクトを組み立てられたなら、責任なんて気にせず、どんどんやればいい。

責任なんて有限


だいたいにおいて、責任なんて有限です。

失敗した責任。
途中で投げ出してしまった責任。

仮に、それで迷惑を被ったヒトがいたとして、彼らに無限の責任を果たす理由はありません。

中には、”責任者”という架空の概念を誰かに押しつけて、その人を切り捨てて無限の責任を負わせようとするヒトがいますが、法治国家における上限をこえる行為です。

たとえ犯罪を犯してしまったヒトに対してであっても、罪は有限で、償う機会が与えられるコトを考えれば、真っ当なプロジェクトを進めるにあたって責任という名目で個人を攻撃することがいかに無意味なコトか。

民間においての責任なんて、せいぜい借金なら返して、迷惑をかけた人達に頭を下げて回るぐらい。
そこまで出来たら、もう次のプロジェクトで走り出して何の問題もない。

責任なんて、そんなもんです。

一人の責任ということもない


だいたいにおいてプロジェクトが上手くいかない理由なんて、1つじゃないです。

入り組んだ複雑な理由や原因があるのが通常で、それに対しての責任だって、入り組んだ複雑な責任になるはず。

誰か一人が責任を取るなんていうコトはあるはずのないこと。

仮に、一人の人間しか責任をとれないぐらい、一人の人間に重責を負わせていたして。
それは本来、複数の人間で受け持たなければならない責務を一人に押しつけていたということです。
明らかにチーム運営の不手際であって、責任は、本人と、運営側の両方にある…と言えます。

人間は社会的な生き物ですので、責任というのも社会的なモノ。
決してひとりの個人に属するものではないです。

失敗した時の原因も、責任も、一人で背負い込む必要なんかないです。

失敗も、責任も、怖がる必要はない


過剰に失敗を恐れたり、過剰に責任を負うことを拒む必要なんかないです。

世の中には、生きてるだけで罪だっていう人もいれば、生きてるだけで丸儲けだっていうヒトもいます。
少々の失敗も、少々の責任も、人生のアクセサリー程度。

傷が付いたら磨けばいいし、壊れたら手直ししてもいい。
新しいのを作り直したってかまわない。

恐れて動けなくなるのが、一番怖いし残念…でよ。
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