文化ってのは、常に現在進行形でないといけない。

過去においてどのように行われていた…とか、どれだけの長きにわたって続いていたというコトは、大事なコトではあるけど、本質ではない。

本質は「人」。

そのものに対して、人がどう対してきて、これからどう対するかが全てであって、それ以上でも、それ以下でもない。

そこ、間違えちゃうとダメですよね。

「ナマハゲ」自体は文化では無い


男鹿半島であれば「ナマハゲ」文化ということになる。

間違えちゃいけないのは、「ナマハゲ」自体は文化でも何でもない。

「ナマハゲ」という存在に映し出される、人々の気持ちや行動が文化を生む。

暴れる「ナマハゲ」自体が文化ではなくて、「ナマハゲ」に対してどのように対応するかが文化。
人の中にしか文化は生まれないし、文化は発展しない。

この単純な定理が崩れると、文化は固定化して、形骸化をはじめる。
「保存」なんて話が出てきたしまったら、もう末期症状といえる。

PRのために「ナマハゲ」を…という話はよく聞くわけだが、ただ単に「ナマハゲ」を前面に打ち出すだけでは、ちょっとインパクトのあるお面だねって程度の認識で終わるし、人はすぐに飽きる。

その「ナマハゲ」に対して、どのように関わってきたか、子供の頃にどれだけ威かされたか、どれだけの時間を、どう費やしてきたか…そうした多様な動きや気持ちこそが文化の本質。

それこそが、他所の人を惹きつけるだろうし、大きな魅力になりうる。

あの姿かたちであることに惑わされて、安易にあの姿かたちを守ろうとすることは、かえって文化の本質を失いかねないと思う。

自転車文化


別に過去の文化にとらわれる必要はなく。

このブログでも何度も書いてる自分の望みは「男鹿半島に自転車文化」を…だ。

決して大きな大会やイベントが開きたいというのではないし、大きなサイクリングロードを作りたいとか、そんなコトではない。

一年を通じて、いろいろな人が、それぞれ好きなように男鹿半島に自転車で遊びに来てほしい。
それを地元の人が、自然と迎え入れる。
それが、あたまりえに流れていく…そんな文化を根付かせたい。

それには、やはり大事なのは人だ。

今まで関わってくれた人が、どんな気持ちで、どんな行動をするのか…それそのものが文化。
その意味では、今この瞬間にも文化は生まれている。

特に自転車の場合は、誰かに頼まれたからとか、仕事だからとか、そうした縛られた気持ちからは何も生まれない。
それぞれの自由な気持ちから生まれた行動が文化として流れていくように思う。

人こそが文化


文化を守るための行動が、文化を固定化させ衰退させていくような取り組みが最近は多い。

特に行政が関わるような取り組みでは、どうしても形式にこだわって本質が置いてかれてる。

本質は「人」。

そこ忘れちゃダメです。
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