「脱・消費社会」という言葉には、消費を減らすことで、必要な稼ぎも減らして、ワークライフバランスを今とは異なるところに持っていこうという意味が含まれていると考えます。

ただ、その単語を使う場合、若い人と、年配の方では、その意味が異なります。

年配の方々の使い方


年配の方々が言うのは「俺らはもう十分稼いだからもういいよ」という意味。
ただ、その言葉の後の続き方には2通りあって。

「後は若いのに任せたから好きにやりな。手伝えることがあれば手伝う」という、後はお前らに譲るからという理解のあるタイプ。
世代は交代し、世界は常に若者が作り上げて変化していくことを十分に理解しているタイプ。
こうした方々とはいろいろと協力関係を築くことも可能です。

もう一つは「おれはもう稼ぐの止めたから、お前らもやめろ」という、自己満足を他人に押しつけるタイプ。
資産と年金で十分に生活できる年配の方が悠々自適の老後ライフを送るのは自由ですが、これから生きていかないいけない若者に対して、俺らが作った世界で、俺らと同じように稼がない生活を強制するなんて迷惑意外の何物でも無い。
社会は常に変化していくことで未来に繋がっていくのに、自分たちが作り上げた世界を永久保存しておきたいという矮小な願望にはつきあっていくことはできません。

最近は、割と著名な方の中にもそういった意図の発言が読み取れるのが困ったモノなんですが。
そうした方々の言葉を真に受けた政治家が、そちこちにいるのも、これまた迷惑な話ではあります。

稼ぎ方の質の変化


よく似た意図で、でも実は全く異なる意味の言葉として「もうその稼ぎ方は通用しない」というもの。

日本の高度経済成長を支えたのは、間違いなく加工貿易。
余所から安い材料を大量に買ってきて、それを加工して海外に高く売る。
モノづくりに対しての潜在的な才能に溢れていた日本は、この方式で世界に冠たる経済大国の地位を手に入れましたが、残念ながらもうそのスタイルで日本が経済成長をするコトはないです。
材料コストは嵩むのに、売値はどんどん下げられる現状では、加工貿易で稼ぐことはもう無理です。

稼ぎ方を変えていかないといけないという意図で「脱・消費社会」という言葉が使われるのはこの場合。

正直、今までと同じレベルの稼ぎを維持しようとしたら、日本国内に軸足を置いたまま商売を続けるのは無理です。
現実として、日本の高度経済成長を支えてきた企業は、どんどん海外に進出していってますし、その流れ自体は止められません。
そうして日本から出て行けるヒトは、そのスタイルで稼ぎを大きくできるでしょうが、大多数の日本人は、稼げなくなったからといって、簡単に日本から出て行くわけにも行かないです。

よって生活を変え、稼ぎ方を変えていこうという動きに繋がってるわけです。
たぶん、自分の生き方もそっちにカテゴライズされるものなのかな…と思ってます。

まとめ


一部の先端製品を除けば、モノづくりではもう昔のようには稼げません。
モノづくりで稼げないということは、モノ売りも昔のようには稼げません。
そう考えると、地方から工場がなくなると一緒に、商店街が消えていってるのも、昔と稼ぎ方が変わったことを考えれば当然だったりします。

作るのもダメ、売るのもダメ、となれば何で稼ぐか…っていうコトですね。
別に回答は「脱・消費社会」である必要もないですから、もっと、もっと、もーっと考えないと、そのうち日本人はアジアに出稼ぎにいかざるおえない日が来ちゃうかもしれないですね。

以上。
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