今日は、男鹿半島の船川地区の「おまつり」。
元浜町あたりでは、おまつり屋台が並び、各町内で御神輿を担いで練り歩く風景が見られる日です。
うちの地区でも町内会(こども会)が、子供たちに神輿を担がせて、ぐるっと廻ってくるのが恒例です。

いつもと違う雨のおまつり


ところが、今年は雨がポツポツ降って参りまして、子供たちもカッパ姿。
それでも学校半休にして集まってきましたから、そろそろ家の前でワッショイワッショイと気勢をあげてくれるのかと待ってましたが、ふと窓の外を見ると、子供さんと親御さんがバラバラと解散していきます。

どうやら、今年は御神輿を神社に戻しただけで、町内一周は取りやめになったようです。
雨天中止ということでしょうか。
うむ、ちょっと残念。

こーゆー時に、雨が降ろうが、槍が降ろうが、御神輿はやらねばならね、というような原理主義的なことは言いませんが、確かなことは、子供たち(と親御さん)にとって「おまつり」という行事の重要度が、かなり低下してきてるのは間違いないところ。

昔と今では「おまつり」が違います


自分たちが子供のころは、「おまつり」の時は、夜更かししてもいいとか、おまつり屋台にいくお小遣いがもらえるとか、御神輿をかつげるとか、特別な日という感覚がありましたが、今はそうではないんでしょうね。
「おまつり」は面倒な強制参加行事のひとつでしかないのかもしれません。

それこそ「おまつり」が何の為にあって、どう向き合うべき行事なのかを伝える人がいなくなってしまった結果かもしれません。
考えてみれば、うちの町内では「おまつり」を取り仕切るのは町内会ではなく子供会。
子供が小学校を卒業すれば、親も抜けます。
継続的に仕切る人がいないわけですから、その意義が語り伝えられていないのは当然。
そう、これって結局、伝えることをおろそかにしていた自分たち、およびその上の世代の責任なんですよね。

なんだ、自分たちの責任だったか。

原理主義的な継続や維持はリソースの無駄


こういう話になると、なんとしても続けなければならないとか、なんとしても復活させていかなければならないとか、威勢良く話される方もいらっしるでしょうが、残念ながらもう手遅れだと思います。
かつての人口が維持されてることを前提として組み立てられてきた行事は、人口減少の中では継続も復活もできません。
衰退や消滅を受け入れるほかはないと思っています。

実際、衰退や消滅することを受け入れてしまえば、別の切り口が見えてきます。
それは、今あるモノが消滅することと、これから生み出せるモノの価値が等価であることが、受け入れられるからです。
なくなるモノに執着するのではなく。
モノを生み出すコトが等価であるなら、自分たちの手で、自分たちが大事にしたいモノを生み出し、残していけばいいわけです。

自分で生み出したモノにこそ価値がある


古い人は、伝統だ、継承だ、と面倒くさいことを言うかもしれませんが、関係ありません。
はっきり言えば、もうデッドラインは過ぎました。
今までの仕組みやが衰退や消滅といった結果を回避できる可能性はもうないです。

ですが、古いモノが無くなるからこそ、新しいモノを作り出せることも真実。

いいじゃないですか。
昔のモノが無くなることに執着しなくても。
新しいモノ、自分にとって本当に大切なモノを作り、残していければ。

以上。
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