世の中では、成功事例とか、先進事例とか、そういったコトがことさら取り上げられるコトが多いですが、そうした事例は、実際のトコロ何の参考にもならないんじゃないか、という気がしてます。

意味のない回答集


学校のテストに例えれば、問題と回答を両方同時見せられているようなもの。

現実の地方で起きて問題解決の経緯を、後から最もシンプルな状態まで経緯をそぎ落とし、それについてあたかも的確な手を打ったかのように回答集を作り上げただけ。

その回答集の中に、もっとも大事な部分が入ってるのかどうかも分からなければ、陰になって動いてくれたキーパーソンが実は存在していたかもしれない。
取り組みを進めるにあたって、凄くイヤな思いをした人もいるかもしれないし、その結果立ち去った人もいるかもしれない。

でも、多くの成功事例や、失敗事例は、せいぜい何度かの失敗を経ながらも、あきらめずに進み続けました、程度のコトしか書いていないだろうし、汚い部分、あまり広言したくない部分は、当然のようにカットされる。

都合のいい部分を編集しただけの回答集には、全く価値はないです。

失敗を体験し評価する


失敗を、失敗と評価するのはすごく重要です。

何かしらの取り組みを実行するだけなら、先ほど書いたような事例集が山ほどありますから、適当な事例を参考に自分の地域に合わせてアレンジすれば、イベントも取り組みも、誰にだって簡単に実行できます。
補助金なり、協賛金を募れば、カネのことだって何とかなります。

進めるにあたって、様々な問題も出ますし、一生懸命頑張って、問題をクリアするのは、それなり大変ですが、そうした問題をクリアすることは非常にやりがいがあります。

しかし、勘違いしてはいけないのは、イベントや取り組みで発生した問題をクリアすることは、地域の衰退という問題をクリアすることとは何の関係もないというコト。
一生懸命頑張って解決した問題は、実際には自分たちが解決したい問題とは無関係の問題であって、それをクリアすることは地域の問題の解決には何ら寄与しないということは、冷静に切り分けないといけないです。

解決したい問題と、結果現れた変化に相関性が薄いようなら、今回の自分の取り組みは失敗であったと評価すべきです。

自分の中で、そうした失敗の評価を下すのは、つらいですが必要なコトです。
自分の中で解決したい問題に、影響を与えて、変化を促すことがこそが、必要なコトですから。

まとめ


100%の成功も、100%の失敗もありえません。
何の効果もなかったと思われるイベントだって、その失敗要因を認識して、分析して次の取り組みに活かせるなら、失敗の中からでも重要な収穫を見いだすことができます。

問題は、失敗を失敗とせず、きちんとした分析を行わず「一定の成果はあった」というような曖昧な表現で流してしまうこと。
それが間違って何かの事例集にでも乗ってしまえば、さらに失敗を再生産し続けます。
これは、お金も時間も著しく無駄にしますので、絶対にやってはいけないコトのはずですが…残念ながら、あちこちでこうした再生産の事例は後を絶たないようです。

そもそも、どのような状態になることを「成功」とするかの定義が曖昧な取り組みが多いです。
「成功」の達成要因を曖昧にしておけば、評価結果も曖昧にできますし、実際には「失敗」に位置づけられる結果も「一定の成果はあった」などと表現できてしまいます。

それは、もう卒業しましょう。

自分がこの取り組みをするのは、自分が望む結果を手に入れるためです、と明言していいはずです。
その明言した内容こそが、文字通り「未来」であって「希望」です。
「未来」や「希望」なしに、どんな行動を起こしたって、そこには行動に見合った「成果」を見つけることはできないはずですので。

以上。
このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット