個性的というのを、どのように定義づけるかは様々あるんでしょうが、ここでは、他人と違う嗜好を有しているコト、他人と違うロジックで行動できるコトというあたりにしておきます。

リソースは有限


言うまでもないコトですが、社会を形成するリソース、私たちが生きていくために必要なリソースは有限です。
食料、水、燃料、電気といったリソースは無尽蔵にあるわけじゃないです。
また、生きていくために働くことは自明ですが、職業というのも必要な規模には上限のあるリソースの一つです。
誰かが作ったリソースを、誰かが準備したリソースを、社会全体で共有します。

何かのリソースが不足した場合は、そのリソースへの需要が逼迫して、そのリソーソへのコストが上昇します。
たとえプライスとして上昇しなくても、入手するために並んだり、どこか遠くまで出掛けたりというコトになれば、結果として入手コストが上昇します。
この手の話は人気商品にはよくあるお話ですので、わかりやすいトコロ。

例外的な豊かさに守られてきた日本


とはいえ、モノが潤沢に、安価に供給されている時期…世の中が豊かであるときには、皆が同じモノを求めても、同じモノを手に入れられましたが、これから先、必ずしもそうとは限りません。

例えば(ほんとに例えばですよ…)、今の日本ではコメは非常に安価に手に入れられますが、何かの気候事変、政治的思惑で、コメの生産量が1/100になっとしたら。
さらに、海外からの輸入が行えないような国際情勢にあったとしたらどうなるか。
単純にコメの値段が100倍になったら、ほとんどの人がコメを買うことができなくなります。
明日食べるコメもない、っていう話が現実化します。

ところが個人的嗜好に基づいて、コメ以外の穀物や野菜類(アワ、イモ、トウモロコシ等々)ばかり食べてるというような人がいれば、その人にはコメ不足は問題になりません。

他のみんなが必要とするリソースと、違うリソースで生きていけるというコトは、生存のための危機管理には非常に重要なコトです。

極端な話、今なら”虫”を食べれる人であれば、一生食料には苦労しないでしょうが、まぁ自分も含めて、普通はその境地には達しそうもないでしょうが…

リソースの需要を分散させること


食料だけではないです。
おそらく人間が生物として生きていくのに必要な水と塩以外では、あらゆるリソースの需要を分散させておくことは、これからの時代必要な社会システムの整え方だと考えます。

暖房手段が、エアコンか石油ストーブのみであれば、発電所のダウンや、原油価格の高騰で、暖房手段が失われます。
が、普段から薪やペレットで暖房している家は影響を受けません。

同じ理由で、自動車の利用が困難になることもあるでしょうが、自転車や徒歩が通常の移動手段の人には影響は少なくて済みます。
この場合は、物流がダメージを受けるので全く問題ない、とはならないでしょうが。

職業にしても同様です。

大まかに言えば、大手企業や、公務員なんかが人気なんでしょうが、みんながこれに向かっていっても、その1割も採用されないですし、そもそも大手企業や公務員が人気なのは、過去の実績(世の中が豊かだった時代)から判断されていることで、これからも有利な職業であるかは疑問です。

職種で言っても、ちょっと前までには、事務職とか、工場のオペレーターであるとかに応募が偏りがちだと言われているようですが、今、復興需要に応えられる建設技術者はめちゃくちゃ不足しています。

こうした職業需給の不均衡は、社会全体としてはパフォーマンスを低下させます。

各人の個性に応じて、様々な職業、職種に進む人を支援できるような社会が望ましいというのは、社会全体としてもメリットのある話なんですが、未だに世の親御さんは、有名企業、大企業、公務員というあたりしか見てないふしがありますので…
企業側も、効率を優先すると特定の職種に特化していかざるをえないのは確かなので、はてさて、どうしたものか。

もっと、多様な働き方を広げていかなきゃならないんだろうなぁ…と思う次第です。

カネはカネのまわりに集まる


資本主義、貨幣経済、効率優先という旗印の下に、世の中を推し進めていくと、どうしてもカネはカネの周りに集まり、いかにそのカネを効率的に回していくかに集中します。
というよりも、日本の経済システムは、今やその仕組みの中にがっちり絡まって身動きできない状況だったりします。

カネを効率的に回すには、特定のリソースに需要を集中させてコストを上げさせるのが一番有効な手段ですが、こうしたシステムは、コスト上昇についてこれない人間を容易にに切り捨てます。

こうしたシステムを完全に否定する必要はないですが、ヒトが生きていくために必要な社会リソース全般(単純に生活必需品という意味ではないです)において、このシステムを採用することは社会として危険なことです。

まとめ


個性的というと、ごく個人的な嗜好や趣味の話で、社会の中で生きていくこと、生活していくこととは無関係のように感じられますが、実は全く逆です。

今までは、社会が豊かだったがために、無個性に他人と同じリソースを必要としても問題なく暮れしてこれただけのコトで、今後もそれが続くとは限りません。
というか、今までと同じレベルで日本の社会が豊かであると考える方が不自然です。
少なくとも衰退や消滅が続く地方においては。

個性的であると言うことは、他人と違うリソースで生きていけるという生存のために最も重要な資質だということは覚えておかないといけないです。

以上。
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