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他人の意見から、自分の意見を生み出す

twitterを見てると、たまにイヤなツイートを見ることがあります。

「●●●の話はお伽噺だ。だから●●●はダメだ」

という塩梅の、個人そのものを否定するような内容。
ニュアンスとはしては、もっと攻撃的な書き方でした。

twitterの場合は、文字数が140文字限定ということもあって、つぶやいた本人ですらも気づかないうちに、文面が攻撃性を持ってしまうことはよくあるのですが、その意味では比較的短文でやりとりするSNSは、意見表明や議論の場としては相応しくないと感じることはよくあります。

批判は具体的に

批判されていた●●●さんというのは物書きさんで、本も沢山出してますし、ネット上での意見発表も活発です。
自分もけっこう本も読んでますし、ホームページ等もフォローしてます。

そうなると「お伽噺」という批判の内容が不明瞭すぎて、はたしてこのツイートは何を批判したいのだろうか、と思います。
この物書きさんは、ほんとにたくさんの文書を世の中に出していて、哲学的なものもあれば、具体性に富んだものもあり、多岐な内容を世に出しています。
この物書きさんの何の文章を指して批判してるかを具体的に書かないと、まるで個人攻撃をしているような文面に見えます。
実際に面識がある人同士が、個人的に性格に合わないとか、所作が気に入らないとうのならともかく、本やネットだけでつながっている相手を批判する場合は、何を批判するかは明確にしないといけないと、ただ関係を悪くするだけの文面になっちゃいます。
こーゆー文面を表に出すのはすごく無意味だと思っています。

また、人が文書を書くのは、過去の一時点で行われたもので、それが永遠にその人の意見であることも保障されません。
人の意見はいつでも変化するもので、具体的に指摘や批判をするにしても、そこには意見の変化を期待して行うものであって、個人を否定するような内容になるべきではないと思います。

文章から受け取るモノ

誰しも、読んだ本の内容を100%鵜呑みにすることはないと思います。
書いてある内容のうち、自分の中に残った内容、引っかかった内容に対して、自分なりにいろいろと考えて活用していくことで、初めて「著者の意見」から「自分の意見」へと取り込むことができるのであって、その場合でも「著者の意見」と「自分の意見」が近い内容になる保証もありません。
その方が、より「自分の意見」としての基盤を強化してくれるように思います。

kindle読書

最近、読書の中心がkindleアプリに移ってきています。
スマホ一台あればどこでも読めますし、思いついたことはすぐにWordpressアプリでblogの下書きにしたり、メモアプリで書き残したりと、実際の本で読むよりも圧倒的に生産性にアドバンテージがあります。
この読書スタイルも、ずっと続けるかどうかは分かりませんが、今のblog書きのペースを維持するには、大きな原動力にはなっていますので、当面は続けようと思います。


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Published in 雑記

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