名を取り、実を取らない。
そーゆー話が、いとまない、現代日本。

身近なトコでも


地域活性化とか言って、名目上の意義ばっかり強調して、結果としての成果や、何がどれだけ改善されたかをきちんと把握することに無頓着だったり。

商店街振興の取り組みなのに、商店街の売上げに関しての議論が全く行われなかったり。

集客イベントで、花火を数発打ち上げて、花火が見える、もしくは音が聞こえる範囲に住む住人を、来客者としてカウントしたり。

余所の成功事例を、自分のとこでも実行することには熱心でも、余所の成功事例が自分のトコで実行して効果があるかどうかの検証はしなかったり。

地元をピーアールするんだ~って息巻いてるのに、ピーアールの効果で、どれだけ観光客が増えたとか、売上げが上がったとか、さして興味が無かったり。

定量評価されたくない


こうした方々に共通するのは、定量的な評価をされたくない…っていう意識。
もしくは、評価のモノサシのあて方と、モノサシの単位は、自分達オリジナルだっていう方々。

世の中、数字じゃ表せないんだ…っていうことを、ことさら強調したがる面々。

もうちょい嫌な言い方をすると「自分はイイコトをしてるんだから、誰かに指摘されたり、批判されたりされたくない」という意識。

実際、こーゆー方々は、明確に私腹を肥やすような方々以上に迷惑な存在だったりする。

いつの間にか現場に入り込む


地方に数多ある課題を解決しようと、頑張ってる方々がたくさんいる。

個々の課題を分析して、それに対して効果的な手段を講じて、アクションを起こしてる方々。
PDCAのサイクルを回しながら、少しづつ問題を潰し、仕組みを整え、課題解決を図るために努力を続けてるヒト達。

ところが、こーゆー現場に、件の方々が紛れ込むと話がややこしい。

課題を決め、定量的に効果を測定しながら、地道に活動してる現場に、名目だけを過剰に強調する方々が入り込むと、いきなり活動の方向性がブレる。

目的を決め、課題を解決することを目的にしていたはずなのに、いつの間にか、名目の元にみんなで集まり、合意するコトを優先しはじめる。
結果が出なくなっても、みんなで合意したコトなんだから…といって責任もうやむや。

何のための団体か、徐々に見えなくなっていく。

活きの良い方々が失速する原因


初めは活きの良い動きを見せてた団体や個人が、所帯が少し大きくなったかと思ったら、その後、さっぱり音沙汰を聞かなくなる原因は、まぁ、だいたいこのあたりに端を発していることが多いと思う。

下手に失敗できないよな~なんて考え始めたトコに、こうした名目重視の人が寄ってくると、すぐに「公共」とか「賑わい」とか「活性化」とか、定量評価が出来ない事柄を持ちこんでくる。

そこに乗っかっちゃったら、まぁ、その後は、当初の自分達の目的は遠くに遠ざかり、定量評価の出来ない、活動すること自体に意味のある活動に終始することになる。

それじゃー意味が無い。
意味が無い。

私利私欲でいいんじゃない?


ちょいと知り合いが取り組んでる活動で、補助金、協賛金貰いまくり。
借金まで背負い込みながらも、毎年続けてきた活動が、ここ数年で大きく育ちつつある。

正直、取り組む動機もかなり不純で、中に近いヒト達の言動もあまり好意的でもない。
本人達の自己満足的な部分が大きい取り組みに見えるものの、諦めること無く続けることで育ってきた。

結果として、本人達も黒字という恩恵を受け取りつつ、まわりに対しても経済的なプラスをもたらしつつある。

これってイイんじゃない。
私利私欲でイイんじゃないの。

意外な展開に見えつつ、そこは落ち着いて考えてみると、実はイイ仕組みだったりするんじゃないだろうか。

私利私欲だから、妙な公共も紛れ込まないし。
私利私欲だから、目的もブレない。
私利私欲だから、おカネも回る。

地方が自分の力で活きていけるようになるために、必要なモノがきっちり揃ってる。
いやはや、これは見習うポイント多々だ。

自分も、私利私欲で行かないと。

うむ、これからは私利私欲の時代だよ。
このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット