その地域が生き残っていくために魅力のある地域を作るっていうのは、どういうコトを意味しているんだろうか、というのは時々考えるコト。
たぶん、それは単純にカネを稼ぐ以上に大事なコトなんだというのが、このごろ見えてきた気がする。

もちろん、魅力のある地域だから稼げるカネがあるっていう場合もあるけど、それ以上に、魅力のない地域はそもそも続かないってコト。

都会のカネをあてにしてしまった地方


高度経済成長よりこっち、都会のカネを地方に回して、全国どこの地方も同じようにカネを回るようになって、都会のカネをあてにすれば、そこそこ豊かに生活できる地域っていうのが、日本全国に大量生産されたような気がする。

その地域に本来どんなモノが存在して、その地域のナニに人々が熱狂して、どんなコトに生きがいを感じているのかっていうあたりを全部無視して、とりあえず公共事業受注しとけばカネは入ってくるし、それでいいんじゃない…っていうマインドが急激に広まって定着してしまったように思う。

確かに、それで十分だっていう人もたくさんいるだろうし、貧乏よりは手元にカネがある生活の方がいいんじゃないっていうのは、真っ当な理由。
でも、そのせいで日本全国どこの地方も、代わり映えのない風景に作り替えられた結果が今の日本の地方なんじゃないかと思う。

若者の視線から見た、地方という素材


もともとその地域で育って、苦労して生活してきて、あるときから急に都会からカネが回ってきた人にとって、過去も含めて今の地方はそんなに悪いトコじゃないはず。
今でこそ、たいした稼ぎにはならなくなったけど、貯蓄と年金があれば、リタイア後も、そこそこ気ままに生活できるだけの経済的余裕もある。
この地域に最後まで住み続けるに、さして不自由は感じてないと思う。

でも、これから人生をゼロから築いていかなきゃならない若者にとっては、余所と代わり映えしない地域を素材にして、自分がどうやって生きていけばいいのか全く想像がつかないんだと思う。

自分の育ってきたこの地域を素材にして、商売にしろ、趣味にしろ、そのほか諸々のことにしろ、この土地で生きていくコトに全力を傾けている人の数があまりにも少なすぎる。
身近にそうした人がいなければ、この地域で自分がそうした人生を送るという未来を思い描けないのはしょうがないコトだと思う。

仕事がないという現実以上に、そうしたマインドが若者が地方を出て行くという現状を形作っているように感じてる。

都会も、地方も、人生の素材でしかない


人間、どこで生活しようが、どこで仕事をしようが、住んでいる場所なんていうのは、そのための素材でしかない。

都会に住んでいるからといって、必ずしも望む仕事に就けるわけでもなければ、幸せな生活を送れるというわけでもない。
地方に住んでいるからといって、常にカネに困るというわけでもなければ、お仕着せの人生を歩まさせれるというわけでもない。

どちらにしたって、その素材をどう活かしていくかは、そこで生きている自分次第でしかないはずなのに、今の地方は、その素材を活かすということに関して、あまりにも無関心だというのが、自分の見立て。

たとえ同じ素材を使っていても、その活かし方次第で、そこから作られていく地域は全く違う場所になっていくのに、そこに関して真剣にぶつかっている人間の数が少なすぎるんじゃなかろうか。

だいたい余所と同じでいいんじゃないの、っていうのは諸条件で不利な地域は消滅しても仕方がないっていう考えとイコール。
で、誰が考えたって秋田県も、男鹿市も、余所に比べて諸条件が不利な場所の筆頭にあがるのは間違いないのに。

まとめ


地域の魅力、そこに残って生きていきたいと思える源泉は、その地域の中にある素材を、どうやって活かしていくかをイメージできるかどうか、という部分にあるんじゃないかと思ってる。

つまり、実際にその地域に何があるかというコト以上に、その地域に住んでいる人の心の中から、どんなイメージが溢れてくるかが一等重要なコトなはず。

そんなイメージが、あちこちの人から飛び回っている地域っていうのは、ちょっと想像するだけもワクワクするし、そこで実際に起こっているアクションは、周りの人をどんどん巻き込んでいくんじゃないかと思う。

イメージするコト。
その部分に関しては、誰がなんと言ったって、それは自分だけのもの。
余所の成功事例も何も関係なくて、そのイメージの鮮明さ、躍動感があればあるほど、それを実現していく時に作られていく地域は魅力的に見えると思う。

以上。
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