新しいモノを買うにあたって、そのためには二つのコトが必要になると考えている。

一つは、もちろん代金。
これは当然で、議論の余地なし。

もう一つは、そのモノを買った以上、そのモノに関して発生する責任を引き受ける覚悟。
こちらは、見逃されがちだが、一つ目以上に大切なコトだと思ってる。

モノもヒトも一緒だ


食べ物、飲み物、消耗品の類であれば、そんなに難しいコトを考える必要はないが、それ以外のモノに関しては、責任を取る覚悟が必要。
中途半端な気持ちでモノを買ってしまっては、後で、そのモノに対して申し訳ない気持ちが沸き起こる。

カネがあるから…という理由で買ってしまうコトで、そのモノが本来の持ち主の手にわたることを妨げた罪悪。
本当であれば、然るべき場所で活躍の場を与えられたらはずのモノから、その機会を奪ってしまった愚鈍さ。

モノと言えども、ヒトと一緒で、その誕生には語られるべきストーリーがある。
それを生み出したヒト達の実直なるドラマがある。
そして、モノであっても果たすべき使命がある。

モノを買うということは、そうしたストーリーやドラマや使命も一緒に引き受けるというコトに等しい。
機能やサービスだけを切り売りしているだけではないはずだから。

愛すべき21年モノのMTB


自分に身近な例を挙げさせてもらえれば、今手元にある自転車で一番古い21年前に購入したリジッドバイク(サスペンションの無いMTB)。
今となっては、特筆するようなスペックは無いが、クロモリ製のフレームは重いもののとにかく頑丈で壊れる気配は微塵もない。
そのほかの小さな部品は、必要に応じて交換してるおかげでいまだに現役使用中。

正直、買い替える機会は幾らでもあったが、どこか致命的な破損があったわけでもないモノを簡単に買い替えていいのだろうかという思いはずっとあった。
今更、再利用されるアテのあるスペックでは無いので、自分が手放せば廃車になるのは確実。

本格的な競技に使用するわけでもないし、使えるうちは手を入れて使うのが、この自転車を買った自分の責任なんじゃないかと考えるようになってきた。
幸いにも、こうしたメカものをいじるのは嫌いじゃないし、自分でメンテナンスをするようになってからは、さらに愛着がわいてきた。

昨年はハンドル根元の回転部品(ヘッドパーツ)からの軋み音に悩まされ、ベアリング交換でようやく解消するなど苦労したので、さすがに林道ライドなどハードユースからは引退。
もちろん、普段使いや夜間ライドでいまだに元気に使ってる。

たぶん、この先最低でも10年は問題なく使えるはずだと目論んでる。
この頑丈なフレームが破断するまでは、自分の人生に付き合ってもらおうと思ってる。

言うほどモノの進化は顕著じゃない


技術の進歩が著しい…と言われるようになって久しいが、めぼしいモノの進化は実はもう既に行き着くとこまで行き着いてる。
スマホやPCといったITデバイスでさえ、モノとしての進化は止まってる。
古いスマホから、新しいスマホに買い替えて、何か新しいコトが出来るようになるかというと、もうそれはほとんど無い。

機材を買い替えることによって、新しい世界が見えるコトはほとんど無い。
もちろん、新しいモノを手に入れることで、新たなモチベーションが沸き上がることはあるだろうから無意味ではないが、それが古い機材を自ら廃棄させるコトへの罪悪に対して、妥当なトレードオフかはよく考えたい。

モノというのは、友人と一緒だ。
そのモノを買った時点で生まれた、モノとの縁は、ヒトとの縁と同様に大事にしたい。

新しいスペックの製品が出た…という理由で買い替えるのは、あまりにも勿体ないというのが持論。
幸か不幸か、自分の手元にやってきたモノに関しては、責任もって、その使命を全うさせてあげたいと考える。
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