ノーベル賞の季節、あらため科学技術の発展が人に何ももたらすか…ってとこ考えるのは大事だと思う。

その研究は何の役にたつのか?


これは愚問だ。

多くの自然科学は、人の役にたつものではない。

自然界に存在する、数多のモノの仕組みや構造を解明し明らかにすること…まずはそこ
人間にとってプラスなのかマイナスなのか、そんな評価に意味は無い。

宇宙全体において、人間が解き明かしている事象、現象なんてほんの僅かで、人間は解き明かされていない世界の中で生きてる。

今の人間の科学なんて幼稚園児以下、僅かに概要を掴んだ、小さな土台の上で右往左往してるようなもん。

そんな小さな土台の上で何の役にたつのか…なんていう問い自体が、非常に薄っぺらい。

無視して応えたって、その小さな土台に、僅かな高さと広さを確保した…と、そんなトコロ。

便利になればいいのか?


まぁ、それでも都市の中で生活するにあたって、何かの役に立つものというのは必要なのかもしれない。

便利な商品やサービスが登場すれば、みんなが飛びつき、それなりに便利な世界になっていくわけだし、それで経済は発展するだろうし。

そうした商品やサービスを売らないことには企業も立ち行かない。
わざわざ、面倒で使いにくい商品を選ぶ消費者もいないだろうし…まぁ、そこは分かる。

ただ、「便利になればそれでいいのか?」っていう問いもある。
科学技術は「便利」の奴隷なのか?

そもそも、便利で簡単になった分、今までそこに使っていたリソースはどうなるのか?

便利になった分、別のコトにさらにリソースをつぎ込んで頑張るのか。
それとも、便利になったし、楽させてもらおうかと、余暇・休暇に振り分けるか。

別に、どちらにならないとダメって話じゃないけど、そのへんの認識をぼやかしたままだと、知らないうちに、自分の人生が薄まってしまってる気がする。

楽になった分を意識せずに、ただ便利なモノだけを求めるっていうのは、どうも自分の人生とは違う気がしてる。

誰かから押し付けられた価値観で、生かされてるような気がしてならない。
そのへん、もっと白黒はっきりとしたメリハリのある人生を生きてみたいとは思う。

便利になってどうすんの?


この問いは大事だ。

科学技術なんて、そもそも元からそこにあったものにタグ付けして解説しただけのものに過ぎない。
人間はそれを参考にして、便利なもの、役にたつものをたくさん作ってきたわけだけど、それが自分の人生にもたらす意味については、基本、無自覚だ。

クルマや電車ほか移動手段が発達したおかげで経済活動は格段に広がって便利になったものの、自力で移動しなくなった分、人間自体のフィジカルな強度は激減したのはご存知の通り。

結果として、健康に対して大きな影響が発生してるが、これは本当に妥当なトレードオフだったのかとか、よくよく考えておきたい。

科学が人間を衰退させて、どーすんだと。

自分は、科学技術の発展こそが、人類が発展していくのに必要な唯一の術だと思ってるけど、それは、世の中が便利なモノであふれかえるべきというコトと同義ではない…っていうか、むしろ真逆。

科学技術で生み出した新たな術をどう使うんだ…って、そのへんを問い続けるのが大事なんだろう。
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