二択のようなタイトルですが、新しい物事をスタートさせる時に「みんなで始める」っていうケースはほとんど無いと思っています。

最初は一人


新しい物事が始まるときの、本当の最初の最初は、誰か一人の人の頭の中です。
それは、偶然の閃きであったり、予想もしてなかった思いつきであったり、うんうん唸ってさんざん絞り出した後に出てきた最後の一滴であったり。

みんなの頭の中で、同時に、一斉に生まれるなんていうシンクロニシティは通常はあり得ませんので。
最初は一人なんです。

この生まれたばかりの「最初の最初の小さな何か」は、そのままではとても人に話せるような形を為していません。
このままの状態では、どんなに人に説明しようとも、自分自身がコトバにできないような状態です。

育てるのも一人


「最初の最初の小さな何か」を、人に話せるような段階まで膨らませるのは、それを生み出した最初の人にしか出来ない作業です。

この段階で、どれだけ自分の想いを込められるかで「最初の最初の小さな何か」が、次の段階にまで成長できるかが決まります。
正直、大半の「最初の最初の小さな何か」が消え去ります。

これが出来て、ようやく「アイディア」と呼ばれる形状になってきます。
ようやく人に話したり、意見を求めたりすることが可能な段階になりました。

とはいえ、他のヒトに意見を求めたり、考え方を取り入れるという作業は、すごく残酷な作業です。
自分が「最初の最初の小さな何か」から大事に育ててきた「アイディア」から実を切り出し、他の何かに置き換えていく作業ですから。
自分の身を削り、血を流す作業に等しい。

これに耐えるには、他人に身を切り出されても耐えられるぐらいの、たくさんの想いを込めて育ててきたかにかかっています。
どれだけ強い思いを込められてきたか…です。

この時点で耐えられないアイディアは、そもそも想いが足りないのです。
想いの強さが足りないのです。

アイディアの質でも、量でもなく。
足りないのは想いです。

一人の人間が、ありったけの想いを込めて育てた「アイディア」がなければ、その後にみんなの手を借りて育てていこうとしても枯れていくだけ。
どこかで見たような、どこかで聴いたかのようなアイディアと差し替えられて、どこにでもある普通以下のアイディアへと丸まっていきます。

アイディアの死です。
想いが足りないが故に、育つこと無く枯れていく。

「みんな」で新しくはなれない


みんなで考えて、みんなで話し合って、良い方向に進めていこう…というやり方は、悪くはないですが良くも無いです。
「みんな」が同じアイディアを持つことはあり得ない以上、今までに「みんな」が経験したきた形に収まりがち。

新しい物事を始める手法としては適してはいません。

新しい物事を始めるためには、誰かが、一人で「最初の最初の小さな何か」を、悩んで、苦しんで、自分の想いをつぎ込みながら育てる作業が必須です。
その苦しみなしには、なかなか新しい物事はスタートしませんので。
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