すっかり「ナマハゲは神様」というフレーズが定着してしまいましたが、それはそれ。

だいたいにおいて、ちょっと前までは「神様の使い」だったはずが、昨年の観光キャンペーンで「神様」になってしまいました。
もしかして、本来のナマハゲは既に消滅し、二階級特進で「神様」に格上げになったんですかね?

なんともCMの力って怖いですね…

反証するとか、議論するとか、そーゆー意図はありませんが、自分なりに考えてきたこともあるので新年ですし書きます。
まぁ、論拠に乏しい仮説です。
文献などによる検証もこれからです。

いわゆる、子供が書いた「僕が考えたナマハゲ」と同レベルのものなので、興味のある方は読んで笑い飛ばして下さい。

ナマハゲは神様じゃありえない


個人的幼少体験も含め、「ナマハゲは神様」なんていうのに到底納得できる感覚はなし。
あんなのが神様なら、神様なんでもありすぎ。
確かに日本古来の神様はなんでもありだけど、「ナマハゲは神様」っていう言い方をするときの神様の意味の中には、日本古来のなんでもありの神様とはニュアンスが違っていそう。

諸説のナマハゲの伝説でも、神様でしたという起源はありませんし、一番近くても漢の武帝に付き従ってきたコウモリ起源ですが、こっちはどちらかというとならず者のボディーガードみたいなもので、武帝亡き後は、乱暴狼藉を働きますし、神様につながる節はなし。

伝説から離れて、太古の男鹿半島の庶民の間から生まれた行事としてみると、例によって菅江真澄の記録あたりが参考になるわけですが、ここで描かれてるナマハゲは、今よりはもちろん、自分らが子供の頃の姿よりも、遙かに恐ろしい姿で描かれてます。

どこかに神様という記述はあるんですかね?
手元の資料が乏しいので、後で図書館あたりで探してみます。

神と対する存在としてのナマハゲ


どちらかと言うと、太古の昔は、神様に連なる神性は人間の方にあって、ナマハゲはその対局の側にあったんじゃないかという気がしてます。

神の意志に従わないモノ
人間の力ではどうにもならないモノ

そうしたモノを象徴する形で、ナマハゲというモノが形作られた。
怖くて、恐ろしくて、容赦のない、人間性のない存在。
それを、神様や人間の対局に据えることで、神様と人間を同じ側に立たせてきた。
生きるコトで精一杯の時代を生き抜くための、気持ちの糧に、支えにしたきたんじゃないかと。

そのぐらいの起源がなければ、あんなに怖くて、恐ろしくて、容赦のない、人間性のない存在が生まれる理由を説明できません。

例えば男鹿半島に神社仏閣の類が全くなく、人の側によりそう神性が他に存在しなければ、ナマハゲはその生まれから神に連なる存在だった可能性もあるんでしょうが、逆です。

門前あたりなんか、昔は凄い数の神社仏閣があったそうですし、今でも面積に比して多いです。

変容を始めた明治以降


実際のところ、戦前、明治前期の頃に、官憲とはいろいろあったらしいことが言われてますし、それ以前のナマハゲは、たぶん今とはさらにかけ離れた姿だったんじゃないかと推測してます。

もちろん、官憲と対立したままでは、存続していくことはできませんから、そのころから少しずつ変容が始まったのかもしれません。

マイルドで、当たり障りなく、神と対立するモノではなくて、神と共存するモノとしての姿へ。

たぶん、この頃に「歳神」「来訪神」という民俗学ではよく使われる概念と結びついたんじゃないかという気がしてます。

ナマハゲは、決して悪逆非道な存在ではなくて、乱暴ではあるもののありがたい存在で「神の使い」で、お山からやってくる…と。
確かに男鹿半島には山岳信仰、お山の修験文化がありましたので、この解釈は凄く都合が良い。

ただ、自分の視点から見ると都合が良すぎるんですよね。
綺麗すぎて、綺麗ごとだけでは収まらなかった時代に生まれてきた存在の解釈としては、あまりにも出来すぎ。

まるでフィクション。
おとぎ話。
というか、フィクションやおとぎ話の方が、もっとリアリティに富んだ設定してきます。

人の側に立ったナマハゲ


人間や神の対局の存在であったナマハゲであれば、人の願いを聞き入れる必要は一切なかったでしょうが、人や神と共にあるようになって以降のナマハゲは、人の願いや、人の幸せにも関わるようになってしまった。

いま、この方向性が振れすぎた一端として、観光キャンペーンであるとか、交通安全運動であるとか、まるでマスコットのように扱われているコトに繋がってる気がします。

そればかりか、本来人間の側にあった神性を、ナマハゲに渡してしまったが故に、人間の側から神性が失われてしまった気がします。
ナマハゲに対するための神性を持つが故に、人の心の中に形作られてきた気性といっしょに失った気がします。

このへん、神様と一緒にいることを人間の側が拒んだという解釈もあるんでしょうが、そのへんはまた別の話で。

風習、文化、伝統といったモノは、そもそも時代に合わせて変容していくのは仕方がないコトですし、それが当然だと思ってます。
ただ、その根底にある部分を忘れて、見落として、意識の外に押し出してしまった状態で外見だけを残してしまっては、それは古くから伝わる文化の本質的な消滅とも言えます。

その意味で、今のナマハゲの解釈を、一度かっこの中に入れた上で、どのような想いの中から生まれたかは、考えて見て欲しいと思います。

※注意


いちおう念を押しておきますが、これは個人的な仮説であり、妄想であり、これが男鹿在住の人間の一般的意見であるということは全くありませんのでご注意を。

ただ、人間にとって都合が良いだけの存在が、太古の昔から現在まで伝えられるというコトはないでしょうし、このぐらいの変容はあってもおかしくないとは思ってます。

だいたい、当たってるんじゃないかと。
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