けものフレンズでは、パークの長としてアフリカオオコノハズクの博士と、助手のワシミミズクが登場してます。
「我々は賢いので」が決め台詞の、なかなか良い味をだした賢い二人。

ここでちょっと気になったのは、長の人数が二人であるということ。
一人でも、三人でもなくて、二人。

二人という数字で意思決定を行う場合、多数決という手段は使えません。
二人での話し合いで意見が一致した時のみ意思決定が行われます。

これは、なかなかに示唆のある人数です。

多数決が民主主義ではない


民主主義というと「多数決」に全体が従うもの…という認識の人が多いと思われますが、それは、たまたま他に有用な仕組みがないので現状仕方なく「多数決」という方法を取っているだけであって、「多数決」によらない民主主義が存在しても、別にかまわない。

「民」に主権がありさえすれば民主主義です。

パークの長の話に戻ると、全住民から信任された二人の長が話し合って合意した事項であれば全員が従う…というのは、十分に民主主義であると言える…というコト。

二人が否定したり、一方が拒否した場合は意思決定されないし、議論が尽くされない話に住民も従わなくて済む。

これはこれで、なかなかに有用な仕組みといえる。

決まらないなら決めなきゃいい


この方法だと、頻繁に意思決定を行っていく場合に、何も決まらない…っていうことはあるかもしれない。
とはいえ、住民全員を従わせる意思決定が頻繁に行われる…っていう組織は、そもそもそれ自体が問題を抱えているとも言える。

決まらない事を、無理やり決めて、それに全住民が従わされるのは、それは民主主義では無い。

何より、住民全体を縛るような意思決定は必要最低限にとどめないと、組織自体の活性が失われる。
活性が失われた組織の末路は、推して知るべし。

信任された長二人による、緩い意思決定システムというのは、意外に共同体を運営するのに向いているんじゃなかろうか。

縛りの多い組織は動けない


まぁ、別に今の日本でそういうシステムを採用すべし…という話をしてるわけじゃなくて。

今の日本だと、あまりにも複雑怪奇な法律と社会システムを構築してしまったせいで、国のシステムが、国自体の動きを縛って身動きとれない状況に陥ってしまってるのが現状。

その複雑さ故に時代の変化にも対応できず、あらゆる事態に後手後手に回ってしまってる。

ずっと前から到来することが分かっていた変化(例えば少子高齢化)に対してすら、直前になっても対応策が見いだせず、古い制度の有効な見直し一つできてない。

だったら、初めからそんな複雑怪奇な法律やシステムを構築すべきじゃ無かったんじゃないかと。
住民の自由を奪う必要は無かったんじゃないかと。

今じゃ、何か一つ行動を起こすにも、それが法律やら何やらで縛らてるのかどうか調べるだけで一苦労。

自由を謳う国家が、法律をバンバン作って縛りを増やしていくってのも本末転倒な話。
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