いいかげん成長という単語の枕詞に「経済」を付けるのに飽き飽きしてきた、今日この頃。

「経済成長」っていう単語も、もういろいろ綻んできて、そろそろ賞味期限も過ぎ、減価償却も終わりという感じがしないでもない。

いままで、よく頑張って頂きました。
ご苦労様…という感じで。

まぁ、しないより、した方がいいんでしょうけど、そのために、ヒトの営みの全てを犠牲にするようなモノではないです。

カネって何よ


貨幣も紙幣も、煮ても焼いても、生きるための足しには全くならない。
本質的には、政府が保障する物品引換券でしかないですから。

政府が上手いこと価値を保ってくれていれば何にも問題はないんでしょうが、最近は「安定的な価値を保つ」よりも「効率良く儲ける」にシフトしてる感じで、一歩間違うと一気に暴落しそうな気配がないではない。

まぁ、このあたりは専門家でも何でもないので、全く的外れなのかもしれないですが、肌感覚としてはそう。

カネが、いつまでモノと等価を保っていられるかに不安を覚え始めると、「経済成長」っていうコトバが、とたんに軽く聞こえてくるわけです。

カネなんかあったって、生きていけない…と。

本当なら、無理な成長をするよりは、安定した価値を保ってくれた方が遙かにいいんですが。
とはいえ、「成長」以上に「安定」させることは難しいですからね。

生と対になるのは食


本来、生きるコトと直結しているのは食です。
カネではない。

食料を手に入れるコト。
豊かな食生活ができるコトが、今一番求められるコトと言えます。

今は、それをカネで担保してる方々が大勢いるわけですが、それが可能な状況がいつまで続くかに不安を感じてるヒトも少ないないでしょう。

その意味では、もう食っていけない職業の代表格に言われる、小規模の農家さんや、漁師さんの果たす役割は、本当は小さくないはず。

家族的、集落的な規模の一次産業従事者は、実は今後の地方を支える上で、最もキーになるんじゃないのかと。

今、誰も注目してませんがね。

こうした方々が、地域にどれだけ残って、そこにどれだけ若者が入り込めるかが、地域や、その成員が生きていくために、一番重要なコトになるんじゃないかと予想してます。

大規模化とかして生き残れるトコなんか、たかが知れてますので、それに当てはまらないところは、独自の道を歩くしか無い。

食べるモノが手に入らない地域では、生物学的に生きてはいけないんですから。

農と魚の人達と関係性を築く


とはいえ、現状、農家も漁師も簡単に起業できるわけではなく、誰しもができることでもない。

とはいえ、必ずしも、自分が農家や漁師である必要はないです。
でも、そうした方々と、どのように関わっているかが重要。

さすがに無関係のままでは、カネという不確定要素を介在して、食料を手に入れるしかないです。

例といたしまして…

うちでは春先に馴染みの農家さんに、今年はコメXXXキロお願いします…と、あらかじめ注文を入れて、その分を秋に購入させてもらっています。

冬のハタハタは、浜に直接出掛けて、漁師さんから直接買います。

知り合いの農家から、キャベツ、大根、ほうれん草を頂くことも多々。
今の時期なら、どこからともなくワカメが回ってきます。

もちろん、もらいっぱなしでは関係は成り立ちませんから、それに見合ったお返しをしながら関係性を築くようにしています。

今現在は、カネを介在しているケースも多いですが、カネの価値が不安定になってくれば、それに変わる別の価値を交換するようになりますが、それも基本的な関係性が成立していればこそ。

おそらく、ある日突然切り替わるというよりも、徐々にカネの持つ価値と信用が減少していくような社会変化が、この後あるんじゃないかと予想していて、その時代を迎えるまでには、そうした関係性を保って大事にしていくことが重要と考える。

そうならないかも


とはいれ、これは自分の予想というか、妄想レベルの未来予測なので、そうならない可能性も、大いにあります。
カネは、相変わらずカネで、相変わらず経済成長に邁進してて…っていう未来ももちろんあり。

ただ、人間が生きる上で、最も重要なのは食っていうコトには変わりないです。
それを、相変わらず大きな流通やカネに頼りっきりになるのか、地域の関係性の中から手に入れるかで、その豊かさはずいぶん違います。

どちらが豊かと考えるかは個人の判断ですが、地域が長く継続していくためには後者の果たす役割は、果てしなく大きい。
このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット