人口が減ることを、もっと真面目に、前向きに考えれば

先日、お手伝いに行ってきた空き家の活用云々という集まりで、参加者の中には、「少しでも人口減少を食い止められれば」という話をする方がいらっしゃって。

たしかお役所の方だったかな?

人が減るっていうのは確かに寂しい話しだけど、今の人口減少ってのは別に悪いことでもないって考えもある。

「人口減少」は正確には「人口適正化」ではないか?

現状でも多すぎ

この地域に、どのぐらいの人口規模が適正なのか…自分は、男鹿市の人口3万人って、現状でも多いんじゃないかとは思う。

例えば、市役所のある船川地区がこれまで発展してきたのは、一言で言えば国の港湾整備事業に乗っかってきただけとも言える。
今でも、国家石油備蓄基地絡みの税収が無ければ自治体としては相当に厳しい。

大きな産業の元になるようなものはなく、一時、林業が発展して森林鉄道なんかもあったようだが、現状ではそれで稼ぎを生み出すビジネスモデルもない。

発掘する資源もなく、余所に勝る製造業もなく、時代を牽引する技術力もない地域であることを考えれば、この地域が経済的な発展を成し遂げていくというコトは考えにくい。

カネが無ければ、多くの人口を養えないというのは単純な話。

とすれば、適正人口は、もっともっと少ない規模と考えるべき。

現状でも多すぎだと。

少人口社会

自給自足に戻ることを推奨するというわけでは無いものの、経済的発展を目指すには、それなりの諸条件が必要で、それが現状において不足してることは認めるべき。

資源なし、工業なし、技術なしでも、成立しうる産業はあるわけだけど、その規模は現状よりも遥かに小さい。

全員が自給自足をするなんていうのは現実的では無いものの、地域内で必要な食料生産を行うという仕組みづくりをすることで、不足する経済力を補う方法もあるはず。

同じ自給自足であっても、通信や物流が大幅に発展してる現代では100年前とは全く違うスタイルで行える。

その方法を模索することにもっとリソースを割くべきだと思う。

ここらで少々あがいた程度で「人口減少」が食い止められるとか簡単に考えるほうが、よっぽど危険。

少ない人口で成立する社会を造る前に、人口減少が本格化したら、間違いなく地域は消滅する。

等身大の生活へ

だいたい皆んな分かっていて黙っているんだと思うけど、このお国は、必要上に発展しすぎたし、膨張しすぎたし、ヒトも増えすぎたし、モノも溢れた。

何もかも過剰。

それでもなお発展を目指せば、将来世代の取り分や稼ぎまでを大幅に取り崩してしまうし、既にそうなってる。
そこまでして、今を取り繕う必要は無いと思う。

今の自分達の取り分を弁えて、今の自分達の必要分を考え、そこに合わせて生き方を組み直すコトぐらいはできるはず。

等身大の生活…人間はどんなに頑張ったって一人分の人生しか生きられないんだし。

まぁ、できなきゃ、このまま消滅していくだけなんで、たいした問題ってわけでもないんですけど。

命ギリギリで輝く主人公達

今日はアニメの話です。

春から夏にかけて2本ほどアニメ見てます。

一つは「マクロスΔ」
もう一つは「鋼鉄城のカバネリ」

どちらも、とてもいい。

マクロスΔ

世代が世代なんで、マクロスとかガンダムとかヤマトとか、そーゆーのは自然と興味の対象として目に入ってきます。
特に、ヒコーキ好きもあって、マクロスには愛着が高くて、つい録画リストに加えてしまう。

macross_top

マクロスということは、歌と戦争は大きなテーマ。
歌の力で、戦局に大きな変化を起こして平和な世界を実現するのがストーリーの骨子。

今回は五人の歌姫がユニットを組んだグループ「ワルキューレ」が活躍してます。

前線の危険な場所で、命ギリギリで輝きながら歌う姿…その輝きが今作最大の魅力。

とはいえ、今までのシリーズでも戦場で歌ってたわけですが、普通はマクロス艦上がステージ。
戦場とはいえ、かなり守られた場所がステージの場合が多く。

ところが、今回は前線に、それも生身でダイブしていく場面がいくつも登場する。

walkure_dive

護衛のはずのΔ小隊は、しょっちゅう「まずい」「抜かれた」とか言って、ワルキューレを危機に晒してるし。

そうした命ギリギリの場所で歌ってる姿が、とにかく輝いてる。
命を燃やしながら歌ってる感が半端ない。
今作の魅力のほぼすべてといっていい程、歌に力強さを感じてる。

アニメの制作予算の大半をつぎ込んでるんじゃないかと思える楽曲は、2クール(半年)の放送期間にヴォーカルアルバムを2枚出す勢い。
命ギリギリの姿を上手く表現した出来栄えは中毒性も高く。
ネット配信で今のところ全曲購入。
今月末の2枚目のアルバムもたぶん購入するはず。

中盤過ぎてから、ストーリーがややダレ気味で、そうしたギリギリの輝きが薄れてるのが残念だけど、この後のクライマックスでどこまで盛り返せるのか…いちおう期待してる。

鋼鉄城のカバネリ

こちらはアマゾンプライムで無料配信してたので、何の気なしに見始めて、一気見してしまった作品。

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作りこみが丁寧なのは評価を上げてる要因だけど、本質はそこじゃなく。

主人公、生駒の見てくれはトチローの等身をちょっと伸ばした程度の大したことない感じ。
ただ、自分の心に正直な言動や行動が、痛いぐらいに伝わってくるストレートさがある。

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カバネというゾンビのような存在に滅びかけている世界の中で、カバネを倒し、平和と繁栄を取り戻したいという願い。
周囲に認められていない自分を、絶対に認めさせてやるという強烈な自己承認欲求。
劣等感、罪悪感、後悔というマイナスの感情を抱きしめながら、それでも前を向いて歩き出す力強さ。

それでいて、誰かを助けたい、誰かの役に立ちたいという、シンプルな優しさが芯にある。

Δのワルキューレが白く明るく輝いてるとすれば、生駒は夜の闇の中で精一杯自らの命を燃やしている黒い輝き。

どちらの輝きも凄くいい。

命ギリギリで生きる主人公達

フィクションとはいえ、こうした命ギリギリの立ち位置で輝きを放つ主人公達に、魅力を感じずにはいられない。

クールな主人公が活躍するお話しも悪くはないけど、精一杯にあがく姿を見せてくれる作品を作り出すクリエイターのみなさんを精一杯、称賛したい。

ナマハゲはおっかねぇ方が魅力がある

伝統行事や風習なんて、時代が変われば変質してくことは前提にあるとしても。

今のナマハゲに魅力を感じられなくなりつつあるのは間違いない。

凄くいいヒトになってきちゃったんですよね。

今のナマハゲの役回り

子供の躾や、親子の絆。
交通安全、信号を守ろう。
明るく元気に挨拶を。
ようこそ男鹿へ。

などなど。

いやぁ…200年前の菅江真澄の記録の中には、そんな記述は全くないんですけどね。
なんか明治に入った頃には、あまりの悪辣非道な行事の内容に、官憲とだいぶ揉めたような話しも伝え聞きますし。

変わるのは仕方ない

単純な話、人間は慣れる生き物。

観光や教育に活用されるナマハゲの姿に1年中触れてしまえば、1年に1回しか行われない大晦日な行事の方も、それに引っ張られて変質するのは、それはそれで仕方がない。

男鹿に住んでる人間自身が、ナマハゲの変質を加速させてる。

それはまぁ、誰が悪いという話でもない。

でも、なんかそれってつまんなくないですかね。

悪いモノが存在しない世界の不気味さ

人間なんて、ある程度集まれば、中には良い人もいるし、悪人もいる。
1人の人間の中でも、良い部分もあれば、悪い部分もある。

ナマハゲは、悪い部分担当だろうに。

ホントはイイヒト的な背景や、ヒトを戒めるために存在する的な訓のなかに押し込めて、ホントの魅力をスポイルしていないか。

誰もが良い人、何もかもが良いモノだなんて、そんな世界は不気味じゃないか。

魅力的な悪

一方的にヒトに害悪をなす存在。

もっとギリギリの命をやり取りする存在。

人間のちからでは太刀打ちできない、圧倒的な暴力的存在。

そんな存在を、民衆自体が生み出して、男鹿半島全域に広まっていったコトに魅力を感じはしないか。

そんな自らを滅するような存在を、自ら生み出す民衆文化に魅力を感じはしないか。

何が正しくて、何が本当なのかは、今となってはそんなに重要なコトではないけれど、ナマハゲの存在そのも以上に、それを生み出した文化背景というのは注目されていい。

そのあたりの魅力を深めてみたいな~

影絵による秀逸なパフォーマンス

昨日は、男鹿市船川にある嶺徳院さんで開催された「空き家と神様仏様」「寺NOVA」のイベントのお手伝い。

「空き家と神様仏様」は、タイミングが合わずにあまり覗く暇がなかったんですが、「寺NOVA」の方は、男鹿半島にて2回めの公演になる「滞空時間」のライブ…後半はきっちり見られました。

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「滞空時間」に関しては、いろいろググッてもらうと情報も動画も出てくると思いますが、秀逸なのは「影絵」のパフォーマンス。

「影絵」ですよ。

この21世紀、カラフルで高精細でダイナミックな表現技法が一杯あるのに「影絵」。

白幕の後ろから光をあてて、その間のモノやヒトの影で表現するという、あの「影絵」。

基本、白と黒のモノクロ表現。

さぞ、地味な表現に聞こえますが、さにあらず。
そのへんの、ありがちな映画なんかに比べても、この上なく訴えかけてくるものがあります。

表現に限りがある範囲の中で、それをフルに活用しようとすると、当然、既存の映像等とは表現の方法が大きく違ってきます。

普段見ることのない表現を、いっぱいまで研ぎ澄ませてくると、それは見てるヒトの心に直接突き刺さる。
何しろ、そんなところから、そんな風に訴えかけてくるって想像もしてないから、見る方も、何の構えもしてないし、何の備えもしてないし、そのまま真っ直ぐ受け止めるしか無い。

それが直接突き刺さる。

そんな感じ。

世の中、あれが足りない、これが足りない、ってすぐに余所や都会の真似事のを追いかけがちですが、そんなコトにさほどの意味も無いってのがよく感じられたライブでした。

こーゆーのと出会えるから、世の中って面白い。

期待を裏切る作品の面白さ

大石まさる マーチャンダイズ

大石まさるさんの漫画が好きで、今でも単行本をせっせと買ってる数少ない作家さん。

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「みずいろ」の頃からだから、割とファン歴は長いほうですが、作画はずいぶん変わりました。

「水惑星年代記」あたりまでは、安定した感じだと思いますが、その先は作品ごとにいろいろ変わってる。
今回の「マーチャンダイス」は、アメコミ風味というか、トーンを使わない描きこみというか、一見すると別の作家の絵にも見える。

でも、読んでいくと、「大石さんの作品だ」っていうのは直ぐ腑に落ちる。

こーゆー読者の押しつけに似た期待を、あっさり裏切って作風や表現、演出を変えてくる作家さんって好きです。

期待していたのとは全く違う、想像もしなかった作品に出会える面白さ。
それが自分の創造につながる、新しい期待。

自分の「期待」なんて、たいしたコトない…もっと、面白いものは沢山あるっていうことに気づかせてくれる作品を、これからもどんどん出してほしいなと思います。

傷物語Ⅱ 熱血編

前から見に行くつもりだった映画も、見に行ってきました。

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熱血編なんていうとスポ根みたいですが、どちらかというと汗じゃなくて、血が飛び散るほう。

この作品も、原作小説、TVシリーズと人気の作品ですが、劇場版では全く違う演出手法をとったせいか興行成績はあまりぱっとしてないようです。
自分が見に行った時は、もう夜1枠だけの上映で、それもレイトショー扱いにならない7時台という不遇っぷり。

視聴者の期待に応える作品としては作られなかったようです。

もちろん、自分は楽しめましたが。
想像の外から攻められると弱いんです。

実際、この傷物語はシリーズの中でも一番救いようないラストが待ってる作品で、TVシリーズと同様の、軽妙な掛け合いと、ささやかなオチを軸に作るには重すぎるのも確か。
ラストシーンから逆算していけば、今回のような演出しかありえないという読みもできます。

いずれ、自分のたいしたことない期待を大きく裏切ってくれた作品を作ってくれたスタッフには感謝です。

最近、映画が面白い

今夏は、ほかにも見に行きたい映画があったんですが、自転車関係の出費がかさんだんで、後はレンタル待ちです。
そっちの作品は、もう大人気のようですし、想像通りの面白さを見せてくれるでしょうから。

街に魅力はあるか

東北の某市が、3,000万円かけて、市内で欧米限定のポケモンが出現するようにしてもらうそうだ。

まぁ、確かにそれを目当てにやってくるポケモン客がいることは確かだろう。

その人達が市内で観光なり宿泊なりして遊んでってくれれば経済効果はある…と。

ただ、その人達が、観光なり宿泊なりするってことは、街にそれだけの魅力があるかないかのただ一点にかかってるわけで。

街に魅力が無ければ、ポケモンで一日中遊んで、日が暮れたらお帰りだ。
コンビニでお弁当買うぐらいで終わりかもしれない。

ただ、この某市は、行けば行ったで遊ぶトコにも買い物するトコにもこと欠かない場所なんで、これはこれで成功しちゃいそうな気はします。

もともと街に魅力がある…ってやつ。

余所が形だけ真似たって失敗するでしょうが。

道具は10年使おう…ってか、使いたい

一人の人間が、一生のうちに使っていい資源量ってどのくらいかな…っていうのを思うことは、たまにある。

途上国に比べれば、日本人は多くの資源を使ってるのは間違いない。

ただ、それって、本当はもっとほかの国の人が使うべき資源であるとか、もっと子孫の人たちが使うべき資源を、横取りして、先取りして使っちゃってるんじゃないかという考え方をすると、モノを使うときや消費するときに、いろいろ考る。

そこまで深刻に考えなくても、せめて自分の道具ぐらいは大事に使おうと心がけてる。
ちょっとスペックが古いからって、趣味の道具ぐらいなら工夫して使い倒すぐらいのコトはしたい。
商売道具だと、そうもいかないだろうが。

デジカメは間もなく10年!

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こちらのデジカメ、NikonのD40は、今年の12月で発売して10年。
自分が買って使い始めてからも9年はたってる。
大事に使えば長持ちするもんです。

実際、カメラを高スペックの機種に買い替えたって、いい写真なんか撮れないだろうし。
腕が無ければ、道具の新旧なんか意味がないし。

それでも1枚の気に入った写真を撮るという役目をきちんと果たす。
役目を果たすしてる以上は、壊れでもしない限り買い替えなんて考えない。

ロードバイクは12年

このへんは自転車に関してもそう。

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カメラに比べれば、随分と入れ込んでる趣味だけど、メインのロードバイクはもう12年ほど乗ってる。
別に特別なフレームじゃなくて、当時フツーに売られてたエントリー向けのアルミバイク。

純粋にスペックで見れば、今のカーボンバイクよりぜんぜん重いだろうし、ホイールだって前後で2kgもある。
新しいバイクに買い替えれば、タイムだって早くなるだろうし快適性も上がるだろう。

何かの大会に出てタイムアップを狙うなら、迷わず買い替えた方がいい。

ただ、それで自転車に乗ることが、さらに楽しくなるかと言うと、別にそうとも思えない。
自分自身は何も変わってないんだから、趣味としての楽しさと機材の新旧は無関係なんじゃないかとは思ってる。

古いからマメにメンテナンスもするし、スペックが足りないのなら、その分何かしら工夫する。
そこまで全部含めて、趣味の機材と付き合う面白さがある。
12年も一緒に趣味に付き合ってもらってるんだから、いまさら、買い替える気も、手放す気にもならない。

自分か自転車か、どちらかが限界迎えるまで付き合ってもらおうかと思ってる。

道具は長く使ってこそ。
大事に使いましょう。

予算が無ければ、稼げばいい

何かの取り組みをするときに「やりたいが予算が無い」という言い方をする人がいる。

それは言い換えると「誰かが金を出してくれればやってもいい」と言ってるわけで。

その程度の情熱しか無いんなら「やりたい」コトじゃないんじゃないかとは思う。

予算が無いなら、有料(参加者から徴収する)の取り組みをすればいいだけの事ですし。

「やりたい」コトをやるには、それで「金を稼ぐ」というのは普通の考え方じゃないかと思う。

金が無いから、やるんでしょ?

アートとか、教育とかいう分野の話はまた違うロジックがあるだろうと思うけど、少なくとも「地域の衰退を止めたい」的な話をするのに「金が無いからやれない」というのは本末転倒。

金が無くて地域が衰退してるから困ってるって話をしてるんじゃないんですかね?
地域に金を稼ぐシステムが無いから、若者がどんどん都会に出て行くんじゃないですかね?

どうやって価値を創って、対価をいただいて、それで経済を回すか。
経済が回れば、人も集まる。
若者だって、生まれ育った街で生計が立つ。

経済を回さないで、金をばらまいて人だけ集めても状況は何も変わらない。

稼ぐしか無いでしょ

少なくとも、今の日本で、地域の衰退に取り組むためには、適正なる規模を見極めた上で、それに見合った経済を回す必要がある。

そのためには対価をいただくに足るだけの価値を作り出すことが最低限必要。

そこんトコを無視して、予算(補助金かな…)を使って、上辺だけの話し合いで進めた取り組みなんて、たいてい翌年には無くなってる。

中の人に聞けば、予算がなくて継続できませんでした…って言うだろうけど、継続できなかったのは無価値だから。
価値があるなら対価をいただいて、如何ようにも継続できる。

フツーの事業と一緒

その意味で、有料イベント等を一つの事業としてを継続的に開催してる人たちは尊敬に値する。

金が絡む以上、賛否もあるだろうし、批判も出る。
正直、その進め方はマズイんじゃないの…っていう話を聞くこともある。
ただ、それだけ中の人は真剣にコトを考え進めていく。

失敗すれば身銭を切る覚悟があるからこそ、そうならないように一生懸命取り組むし、なるべく赤字を出さないようなモデルの構築に余念なく取り組む。

つまりは、フツーの事業と一緒。
稼いで経済回すしか、話は解決しない。

稼がなきゃダメっていう状況を前にして、公共性だの、無償性だのを持ち出す人がいるから話がややこしい。

そりゃ、東京のど真ん中ですすめる事業に比べると、規模も小さいだろうし、効率も悪いだろうけど、ここでしか提供できない価値っていうのを創れなきゃいけない…っていうのは、全く一緒。

「話の中でだけの価値」じゃなくて、「実際に食っていける価値」を創って売らなきゃ。

オリンピック!いろいろ

個人的にはスポーツ観戦は大好きだし、中継を見るのは楽しい。

結果如何にかかわらず、出場した選手には敬意を払う価値があると考える。

でも、こうもスポーツ観戦コンテンツが大量生産、大量消費されるオリンピックを見てると、ちょっと変じゃない…と思うことはある。

3位決定戦…って

要らないんじゃない?

多くの対戦競技においてトーナメント形式で順位を決定するわけだが、トーナメントというのは、1度負けた選手(orチーム)は、そこで脱落。
最後まで、たったの1度も負けなかった、たった1人の選手を決めるのがトーナメントという対戦方式。

つまり決勝を前にして準決勝で敗れた選手は、すでにトーナメントから除外された選手。

1度負けた選手が2チーム対戦して、3位を決めるっていうのは何か無理やり感が否めない。
銅メダル授与者を決めるために無理やりやってる感じ。

勝者は一人

表彰台って1位だけでいいんじゃないかと思う。

実際、競技によっては表彰されるのは一人だけの競技はある。
(オリンピックだと無いかな?)

有名なトコではIndy500は表彰台は一人だけ。
2位のドライバーは「Fastest Looser」、最速の敗者とされる。

勝者になれなかったという意味では、2位も最下位も変わらないという考え方。

このへんは考え方の違いもあるだろうが、表彰台が一人だけというのは、それだけたった1人の勝者の価値が高まるわけだし、こうしたスタイルの方が自分は好き。

感動をありがとう…って

ここ最近のマスコミの造語の中で、なんとも押し付けがましいフレーズ。
「感動」するのは観客や視聴者であって、マスコミではない。

ついでに言えば、確かに感動的な、ドラマティックな試合展開が繰り広げられる場合もあるし、オリンピック以前からずっと応援している人にとっては、この舞台に立つこと自体がドラマという場合もある。

でも、大半の視聴者にとっては4年に1回のお祭りでしかない。
感動できるほど入れ込んでないだろうし、試合内容によっては興ざめするコトだってある。
そもそも詳しいルールなんか知らないじゃ…

せいぜい意訳するとすれば、普段はぜんぜんスポーツなんか見ない人でも、日本人がオリンピックで活躍するのを見て日本人が応援するのは、その行為自体がエンターテイメントであるからして、その素材を提供してくれることに感謝する…てな感じ。

それにしても感動する主体者は観客や視聴者であることには変わらない。

次は2020 TOKYOではない

今回のオリンピックで結果を出した選手も、出せなかった選手も、まだまだ次の大会というのがあるわけであって、今回で終わりじゃない。

ただ、多くの選手が次…と言われた時に「2020 TOKYO」を口にする。

次は「2017 世界選手権」なんじゃないの?

確かにオリンピックの時しか注目が当たらない、オリンピックの時しか中継が行われない競技が多いので、必要以上に4年後のオリンピックを意識するんだろうけど、実際は1年1年の積み重ねがなきゃ、4年度のオリンピックだって無いんだし。

次は「世界選手権で、ぶっちぎりで優勝します」ぐらいのコトを言ってくれる選手は頼もしいなと感じたりする。

選手は素晴らしい

いろいろ外野がうるさくなるオリンピックですが、選手は素晴らしい。
メダルを取ろうが、逃そうが。

競技の中で、自身の裏も表も、知性も理性も感情も、余すところなくさらけ出し、全力を出し尽くしてなお、たったひとりの例外を除いて敗北することを受け入れる覚悟というのは並大抵のことじゃない。

願わくば、そうした選手の試合内容に、今以上に注目が当たるような舞台が準備されるコトを望みます。
オリンピックは、他の思惑の方が大きくなりすぎました。

がんばれニッポンだけじゃ、つまらない

「がんばれニッポン」は、全ての競技に注目を向ける良いキャッチフレーズだが、最近は少々行き過ぎてる感じ。

中継やニュースの大部分が日本人選手の活躍、コメント、応援の声、これまでの努力、家族や恩師の声などなど…日本浪花節劇場には食傷気味。

興味があるのは、競技そのものの方。

オリンピック全体の中で日本人の締める割合なんてわずかであって、世界中から選手が来て競い合う姿こそが、本来のオリンピック。
そのへん、も~少し上手く伝えてほしい。

がんばれニッポンだけじゃなく

競技に詳しくなれば詳しくなるほど、その競技において日本人選手が活躍できるか、結果が出せるかは、ある程度予想できるようになる。

自分みたいなのでも自転車競技についてはある程度予想できる。
サイクルロードレース男子には、今回は二人の日本人選手が出場したものの、今回のコース設定やライバルチームの陣容を見ると、ほとんどチャンスは無いのは想像するに難しくない。

そうすると中継を見ていても、日本人選手の活躍よりは、有力選手の出方や戦略、その日の調子など、レース全体の展開の方が気にかかる。

フルームは、どこで動いてくるのか。
カンチェラーラの、あの爆発的スパートは見られるのか。
バルベルデは何をしてるんだ…など。

そのあたりに気を配って見ていたほうが、スポーツ観戦として楽しめる。

こうした掘り下げの深い観戦スキルを磨くのは、スポーツをコンテンツとして楽しむ上では大事だし、何より見ていて面白い。

実際、日本では自転車競技は馴染みが薄くても、野球やサッカー、相撲などは、掘り下げの深い観戦スキルを持つファンが多いスポーツだ。
そういうスポーツは、他に比べても発展してるし、競技人口も多く、競技レベルも向上する。

中継も観戦もレベルアップしてほしい

最初は「がんばれニッポン」から始まっても、そこからそのスポーツに興味が出て、観戦する面白さを実感していけるようになるのが理想。

実際、そうした伝え方をするのは難しいし、伝える側の技術の向上も欠かせなが、そうじゃないとスポーツコンテンツ自体も使い捨てされて、人気が無くなったらあっという間にテレビから姿を消しかねない。

「がんばれニッポン」だけだと、オリンピックが終わった途端に、また4年後まで休眠状態になるので、それだといっこうに発展しない。
オリンピックの時期しか注目を浴びないマイナー競技だと、それでもそこで頑張るしかないという認識があるような気はするが、それだけだと競技レベルも上がらない。

日本人選手以外にも素晴らしい選手はたくさんいるし、そのあたりを上手く織り交ぜながら中継やニュースを組み立てるスキルを、メディアにも養ってほしい。

CS放送のスポーツ専門チャンネルには、そのあたりのスキルの高いスタッフはたくさんいますし。

スポーツを楽しもう

実際、スポーツ観戦は面白い。
日本人とか外国人とか、そんな枠を取り払って見ると、その面白さは際限なく広がっていく。

伝えるメディアも、それを見てる自分たちも。
もっと、もっと、スポーツに馴染んで欲しいとは思った、今年のオリンピック。
2020年までには、もっと良くなってて欲しいです。