オリンピック!いろいろ

個人的にはスポーツ観戦は大好きだし、中継を見るのは楽しい。

結果如何にかかわらず、出場した選手には敬意を払う価値があると考える。

でも、こうもスポーツ観戦コンテンツが大量生産、大量消費されるオリンピックを見てると、ちょっと変じゃない…と思うことはある。

3位決定戦…って

要らないんじゃない?

多くの対戦競技においてトーナメント形式で順位を決定するわけだが、トーナメントというのは、1度負けた選手(orチーム)は、そこで脱落。
最後まで、たったの1度も負けなかった、たった1人の選手を決めるのがトーナメントという対戦方式。

つまり決勝を前にして準決勝で敗れた選手は、すでにトーナメントから除外された選手。

1度負けた選手が2チーム対戦して、3位を決めるっていうのは何か無理やり感が否めない。
銅メダル授与者を決めるために無理やりやってる感じ。

勝者は一人

表彰台って1位だけでいいんじゃないかと思う。

実際、競技によっては表彰されるのは一人だけの競技はある。
(オリンピックだと無いかな?)

有名なトコではIndy500は表彰台は一人だけ。
2位のドライバーは「Fastest Looser」、最速の敗者とされる。

勝者になれなかったという意味では、2位も最下位も変わらないという考え方。

このへんは考え方の違いもあるだろうが、表彰台が一人だけというのは、それだけたった1人の勝者の価値が高まるわけだし、こうしたスタイルの方が自分は好き。

感動をありがとう…って

ここ最近のマスコミの造語の中で、なんとも押し付けがましいフレーズ。
「感動」するのは観客や視聴者であって、マスコミではない。

ついでに言えば、確かに感動的な、ドラマティックな試合展開が繰り広げられる場合もあるし、オリンピック以前からずっと応援している人にとっては、この舞台に立つこと自体がドラマという場合もある。

でも、大半の視聴者にとっては4年に1回のお祭りでしかない。
感動できるほど入れ込んでないだろうし、試合内容によっては興ざめするコトだってある。
そもそも詳しいルールなんか知らないじゃ…

せいぜい意訳するとすれば、普段はぜんぜんスポーツなんか見ない人でも、日本人がオリンピックで活躍するのを見て日本人が応援するのは、その行為自体がエンターテイメントであるからして、その素材を提供してくれることに感謝する…てな感じ。

それにしても感動する主体者は観客や視聴者であることには変わらない。

次は2020 TOKYOではない

今回のオリンピックで結果を出した選手も、出せなかった選手も、まだまだ次の大会というのがあるわけであって、今回で終わりじゃない。

ただ、多くの選手が次…と言われた時に「2020 TOKYO」を口にする。

次は「2017 世界選手権」なんじゃないの?

確かにオリンピックの時しか注目が当たらない、オリンピックの時しか中継が行われない競技が多いので、必要以上に4年後のオリンピックを意識するんだろうけど、実際は1年1年の積み重ねがなきゃ、4年度のオリンピックだって無いんだし。

次は「世界選手権で、ぶっちぎりで優勝します」ぐらいのコトを言ってくれる選手は頼もしいなと感じたりする。

選手は素晴らしい

いろいろ外野がうるさくなるオリンピックですが、選手は素晴らしい。
メダルを取ろうが、逃そうが。

競技の中で、自身の裏も表も、知性も理性も感情も、余すところなくさらけ出し、全力を出し尽くしてなお、たったひとりの例外を除いて敗北することを受け入れる覚悟というのは並大抵のことじゃない。

願わくば、そうした選手の試合内容に、今以上に注目が当たるような舞台が準備されるコトを望みます。
オリンピックは、他の思惑の方が大きくなりすぎました。

がんばれニッポンだけじゃ、つまらない

「がんばれニッポン」は、全ての競技に注目を向ける良いキャッチフレーズだが、最近は少々行き過ぎてる感じ。

中継やニュースの大部分が日本人選手の活躍、コメント、応援の声、これまでの努力、家族や恩師の声などなど…日本浪花節劇場には食傷気味。

興味があるのは、競技そのものの方。

オリンピック全体の中で日本人の締める割合なんてわずかであって、世界中から選手が来て競い合う姿こそが、本来のオリンピック。
そのへん、も~少し上手く伝えてほしい。

がんばれニッポンだけじゃなく

競技に詳しくなれば詳しくなるほど、その競技において日本人選手が活躍できるか、結果が出せるかは、ある程度予想できるようになる。

自分みたいなのでも自転車競技についてはある程度予想できる。
サイクルロードレース男子には、今回は二人の日本人選手が出場したものの、今回のコース設定やライバルチームの陣容を見ると、ほとんどチャンスは無いのは想像するに難しくない。

そうすると中継を見ていても、日本人選手の活躍よりは、有力選手の出方や戦略、その日の調子など、レース全体の展開の方が気にかかる。

フルームは、どこで動いてくるのか。
カンチェラーラの、あの爆発的スパートは見られるのか。
バルベルデは何をしてるんだ…など。

そのあたりに気を配って見ていたほうが、スポーツ観戦として楽しめる。

こうした掘り下げの深い観戦スキルを磨くのは、スポーツをコンテンツとして楽しむ上では大事だし、何より見ていて面白い。

実際、日本では自転車競技は馴染みが薄くても、野球やサッカー、相撲などは、掘り下げの深い観戦スキルを持つファンが多いスポーツだ。
そういうスポーツは、他に比べても発展してるし、競技人口も多く、競技レベルも向上する。

中継も観戦もレベルアップしてほしい

最初は「がんばれニッポン」から始まっても、そこからそのスポーツに興味が出て、観戦する面白さを実感していけるようになるのが理想。

実際、そうした伝え方をするのは難しいし、伝える側の技術の向上も欠かせなが、そうじゃないとスポーツコンテンツ自体も使い捨てされて、人気が無くなったらあっという間にテレビから姿を消しかねない。

「がんばれニッポン」だけだと、オリンピックが終わった途端に、また4年後まで休眠状態になるので、それだといっこうに発展しない。
オリンピックの時期しか注目を浴びないマイナー競技だと、それでもそこで頑張るしかないという認識があるような気はするが、それだけだと競技レベルも上がらない。

日本人選手以外にも素晴らしい選手はたくさんいるし、そのあたりを上手く織り交ぜながら中継やニュースを組み立てるスキルを、メディアにも養ってほしい。

CS放送のスポーツ専門チャンネルには、そのあたりのスキルの高いスタッフはたくさんいますし。

スポーツを楽しもう

実際、スポーツ観戦は面白い。
日本人とか外国人とか、そんな枠を取り払って見ると、その面白さは際限なく広がっていく。

伝えるメディアも、それを見てる自分たちも。
もっと、もっと、スポーツに馴染んで欲しいとは思った、今年のオリンピック。
2020年までには、もっと良くなってて欲しいです。

古地図から読み解く歴史

テレビ番組などで、古地図から昔の町並みを紐解くみたいな番組があったりします。

ところが、あれってそーゆー資料が残ってるからこそ。
田舎だと、なかなかそんな資料が無かったり、収蔵品で一般には見れなかったりと、古地図自体になかなか触れられない。

そんなコトを思ってたら、なんとオックスフォード大学のサーバーで、大日本帝國陸地測量部が作成した「五万分一地形圖」なるものが公開されました。
およそ100年ほど前の古地図が、ほぼ日本全土公開されてます。

興味のある方はこちらから。

これはなかなか凄いです。

さっそく男鹿半島の分をダウンロードしてみます。

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大きなところでは、もちろんのこと大潟村が存在しません。
なので船越水道も、今のような真っ直ぐでなく、江川漁港側に曲がってます。

他にも、海岸線を走ってる男鹿線(船川線と書いてある)とか。
うちの近くにあったらしい森林鉄道の路線図とか。
脇本は脇本城址(菅原神社)の参道ぶった切ってバイパス通したけど大丈夫かとか。
船越長沼ってほんとに長い沼だったんだ…とか。

もう見てると見てると飽きないレベルで歴史が見えてくる。

今朝もさっそく、森林鉄道の跡をMTBで探検してみたり、これは凄い面白い。
ひとつひとつ細かいトコも検証してみたくなる。
飽きませんわ。

観光地の終わり

英語でいうところの「Sight-Seeing」としての観光というのは、そろそろ終わりなんだろうと思う。

オールドスタイルな観光地

今までは、風光明媚な土地を観光客が訪ねて、その土地の食事、買い物、宿泊、交通を利用して、それで利益をあげるのが観光だった。

基本にあるのは「風光明媚な土地に観光客がやってくる」という前提。
自分たちで何か工夫して来てもらってるわけでは無い。

その結果、食事、買い物、宿泊、交通の全てにおいて高いサービスレベルが実現されていたとは言えなかったのではないか。

大切なのは、大量にやってくる観光客を手早く捌くことであって、観光客側も、ツアーでやってきた仲間内で好きにやらせてもらうなら、サービスレベルなんか気にしなかったろうし。

良くも悪くも、お互いの需要が一致してたので、何の問題もなく、観光客は押し寄せた。
そんな時代だったように思う。

少なくとも、今生き残ってる業者はそんなスタイルのまま継続いてきたように見れる。

目も舌も肥えた観光客

時は変わって現代、観光客の質は大きく様変わり。

メディアやネットを通じて、観光地の情報は事細かくリストアップされていて、観光客はそのリストから、選んで遊びに出かける。

つまりは観光地どうしの競争だ。

消費者としてのレベルが上がってる観光客は、なるべく少ないコストで、なるべく高いサービスレベルを要求する。

そして、その期待に答えられなかった観光地には、二度と足を運ばない。

観光を商品として考える以上は、その行動に非は無いし、それに携わってる人たちは、それに対応していかなければ、商品は売れない。

昔と同じでは生き残れない。

変わっているトコだけが生き残ってる

今現在、観光業が上手くいってる地域は、観光客の質の変化に気付き、いち早くそのスタイルを変化させていった地域。

サービスレベルが低いままでは、一度来た観光客が二度は来ないことに気づき、少しづつでもサービスレベルの向上に努めていった結果。
その努力の過程を共有し、発展させていった結果。

その対応力、適応力、展開力があるからこそ、観光業が上手くいってる。
もともとその地域に、環境や質の変化に対応できる力が備わっていたからこそ、上手く行ってる。

上手くいくには条件がある

正直な話、上手くいってる地域というのは、人口密集地からの距離や人口規模、交通アクセス、気候など、ある程度条件が整っている必要があるように思う。

首都圏からも遠く、過疎化も進み、公共交通が寂れつつある地域においては、たとえサービスレベルの向上を進めていっても既存の規模・形態のまま存続することは無理だと感じてる。

質の変化以上に、新しい魅力・業態・スタイルの創造が必要なんだと思う。

新しい魅力の創造

実際、男鹿半島で言えば、自分の知っている人達を含めて、いろんなところで新しい魅力の創造を積極的に進めてる人がいる。
規模は決して大きくはないものの、着実にファンを増やして、男鹿半島に縁を深めていく人を増やしている。

一度に100人も来たりしなくても、10回来てくれる人が10人いれば、100人分の施設は必要なくて10人分の施設で事足りる。

残念ながら、男鹿半島は、風光明媚な観光地としての素養は溢れるほど揃ってはいるものの、近隣の人口規模や交通アクセスを考えると、サービルレベルの向上があっても現状の規模のままでは続かないと思う。

万人向けの大きな観光地として生き残るよりは、よりマニアック志向な人が何度も訪れる場所として道を切り開く方が向いてると思う。

男鹿半島の良いところは、そーゆー人たちにも十分に対応できるだけの潜在力があること。
それを自分たちが、活かしていかないといけない。
というか、活かしていきたい。

Wifiが体に悪いって言われても…ねぇ…

Wifi(に限らないんだろうが)の電波が体に悪いという論があるそうだ。

そーゆーコトは、SE(元ですが)という職業柄、Wifiの黎明期からその電波を浴び続け、現在でも自宅に4台のWifiルーターを管理する私を倒してから言ってもらおう…

軍事レーダーレベルの高出力であれば何かしらの影響でてもおかしくないですが、10mW程度のWifi電波に目くじらを立てるというのはいくら何でも過剰反応と言える。

まぁ、実際のトコロ、自分や自分のSE仲間で、Wifiの電波を浴びて病気になったような人には心当たりがない。
それよりも、アルコール摂取過多で肝臓壊して、医者から1日2Lの水を飲むように申し渡された人間ばっかりだ。

もちろん、そんな少数サンプルじゃ科学的な根拠にもならんことは承知。

ただ、体に悪いって書いてる人たちの根拠も、その内容は、ほぼ一緒。
ってことは、おんなじソースを、多くの人が伝え聞いて書いてるだけ。
十分なサンプル数を揃えた上での調査で無さそうという意味ではおんなじです。

メリットとデメリット

こうした問題は影響がどの程度で、仮に悪影響が出るのならどのへんでバランスを取るか…がポイントです。

交通事故が起こるからといって、自動車の使用を禁止できないのと同じで、Wifiを禁止したら、それこそ全ての産業で生産性がガタ落ちします。
各自の判断で自宅では使わない…というのは自由ですが。

現時点では、Wifi電波を浴びてすぐにどうこうということはなく、Wifiが規格化(IEEE 802.11)されたのが1997年と、おーよそ20年ほど。
その間、ずーっと身近にWifi電波を浴びてきた自分のような人間が、かなりの数社会に存在するはずなので、その界隈で、そーゆー健康被害の話が出ないのなら、それほど大きな影響は無いと言える。

環境変化でしかない

この手の話は、環境変化と捉えるしか無いという側面もある。

人類は、発生してこのかた、新たに出現したテクノロジーを封印したという試しがない。
それは、たった一つの例外を除くわけだが、その例外は、もっと優れたテクノロジーを手に入れた場合のみ。
つまり、テクノロジーの後戻りは出来ない。

人類全体で見ても、使用してる電波の総量は爆発的に増えたのは間違いないが、健康的悪影響を考慮して今更使わない…という選択をすることは無い。
これは人類という生命体にとっては、気候変動なんかと同じ環境変化と捉えた方が考えやすい。

つまり、仮に電波を浴びることで体に大きく悪影響を及ぼす人がいたとして、そういった個体は淘汰の対象となるということ。
倫理的には、それでいいかというと賛否あるが、生命の自然淘汰の仕組み上は、そうならざるを得ない。

テクノロジーの進化を止めるわけにはいかない

電波よりも、もっと進んだ情報伝達テクノロジーは、実は無いこともない。
現状、電磁波という縛りのなか光速は超えられないが、それを超えることを可能にする技術も目論まれてる。
おそらく電波を使うことで発生していた問題の多くが解決されると見られる。

もちろん実用化はまだまだ先だが、テクノロジーの進化が問題を解決するということは、今までも常に経験してきたコト。
新しいテクノロジーによって、新しい問題も発生するだろうが、そしたら、またその問題の解決を目指して進んでいくしか無い。

今更、テクノロジーを放棄することも出来ないし、中途半端な現在でテクノロジーの進化を止めることもできない。
生物的な進化がほぼ止まった人類にとっては、もうテクノロジーで進化するよりない。

この先も種々様々な問題が発生するだろうが、それを解決していくことでしか、前には進めない。

ん、あとWifi電波なんて大したこと無いと思うよ。

食べもしないものを、漬けないように

我が家の台所収納の奥から、果実酒なんかに使う瓶が大量に見つかる。
こんなのです。

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もちろん、空ではなく、中には味噌だの、酢だの、塩だの、焼酎だので、何かを漬け込んである。
なんかラベルを見ると10年くらいそのままだったのがゴロゴロ出てくる。

開けてみると、強烈な匂いを放つもの、一口舐めてみて無理と結論付けされるもの。
残念ながら、その全量が廃棄となりました。
勿体無いんですが、あれを食べるのかと言われると…無理。

おかげで10kg近い瓶の中身を10本近く廃棄するという、けっこうな重労働で反日潰れました…

そういうの漬けるのが流行ったらしい

なんか10年ぐらい前に流行ったらしいです。
雑誌とか、テレビとかで。

瓶に何かしら(果実とか、野菜とか)を、何かで漬け込んで(味噌、酢、塩、焼酎)、保存して後で美味しくいただく…って。
たぶん、ちょっとオシャレなスタイルを紹介する番組か何かで。

これって、本当に昔から保存食でやってるモノだと、それを食べる文化がベースにあるんでいいんです。
我が家でも山菜を瓶詰めしたり、干したり、塩漬けしたりして、後で食べるのはフツーにやってます。
が、流行りに乗って、ちょいとオシャレなのをやっちゃうと、いろいろ問題が発生する。
というか、問題が発生した。

漬け込むときは、流行りだし、よしいろいろ漬け込んでみようと意欲旺盛なんですが、それを放置してる間に流行りは終わり熱は冷めます。

そーすると、ただでさえ重い瓶(8L用なので、全重10kgぐらい)。
動かすのも面倒なので、徐々に奥の方に押しやられる。
徐々に人目のつかない隅へ。

そうなると食べごろとか、そういうのを一切合切逃して、数年単位で放置される。
その結果、今回のような発掘劇が繰り広げられるわけですが、その時点ではもう「これ…食べるの?」という感想しか浮かんでこない。
やっぱ片手で軽く持てる、1Lぐらいの瓶でやるべきではなかったのでは…と言わざるを得ない。

作っても食べないと意味がない

結局、漬け込む作業はしたけれど、それを食べるという、一番大事な文化の創造に失敗したと言っていい。
何事も、作るだけ作って、活用策を用意しないと失敗するという良い見本だ。

例えば。

少量づつ漬けて、目に見える場所で管理する。
仲間と共同で漬けて、お披露目会をやる。
ラベルじゃなくて、カレンダーに開栓日を書きこんでおく。
それを使った料理や、お菓子なんかを予め調べて用意しておく。

ちょっと考えただけで、回避策はいろいろ出てくる。
作る作業より、食べる文化が大事。

ん〜どっかの町作りとかの話でも似たようなシチュエーションだ。

作る話は一生懸命なのに、それ…どうやって食べる(活用する)って話が、空っぽっていうパターン。
たぶん、10年後に、こんなん食べられない(活用しようがない)し、どーするよ…って話になりそう。
まぁ、そーゆーのにはなるべく近づかないスタンスで。
半日潰すくらいで終わるんならいいけど。

ミステリーはサイエンスの方が魅力的

最近…というか前からですが、SFやサイエンスミステリー小説が好きです。

何しろ、とてつもない大きな謎を相手にするというのに、通常は誰一人死人が出ない。
お話一つ作るのに、毎回死人を出す探偵ものとは大きく異なります。
(探偵ものも嫌いじゃないですが)

解き明かすというメカニズム自体は、密室殺人事件でも、宇宙深淵の謎でも、活躍するのは人間の頭脳。

そこに、情緒的な人間関係が散りばめられやすい探偵ものに比べると、サイエンスミステリーは、もっと純粋に謎を追い求める姿が魅力なんじゃないかと思ってます。

ポケモンGOは、人間性あぶりだしツール

話題です。
ポケモンGO。

自分はやってないですが、やればおもしろそうな要素は多々散りばめられてます。

ただ、これまた予想されて通り、いろいろ問題が起きてるのも事実。

ポケモンを捕まえる…という目的で、他人の土地に勝手に入ったり、運転中にスマホ操作をしたり。
願わくば重篤な事件や事故が起きないように願うのみ。

ただ、これに対して、ポケモンGO自体を規制すべきとか、ユーザーを侮蔑するみたいな声もあるみたいですが、これはこれで一方的な声です。

マナーのいい人はマナーのいい遊び方をします。
マナーの悪い人はマナーの悪い遊び方をします。
どんな遊びであっても。

それが炙りだされるというのは、ある意味便利なツールとも言える。

で、マナーの悪い遊び方はしてる人は、そのマナーの悪さを自慢したりします。
そーゆー声を聞いて、その人の評価を見直すというのもありです。

この機会を活用しましょう。
たぶん、あっという間にブームは過ぎそうな気がしますので、お早めに。

というか、田舎だと、ぜんぜん遊びがいのないゲームになってるらしいですけど…

夏風邪はだいだい治った

先週末をまるまる潰すことになった夏風邪も、だいたい回復しました。
まだ、喉がちょい腫れてるっぽいですが、のど飴舐めてれば気にならないレベル。

とはいえ、自転車でヒルクライムみたいなことはもう少し控えます。

夏とはいえ風邪引かないってわけじゃないので、皆様もお気をつけて。

夏風邪にご注意

イベント疲れでも無いですが、今週は夏風邪にやられて、やや低調な活動に終始。
毎年、この時期に扁桃腺晴らしたりするんで、まぁ年中行事の一つです。

小さい頃は、冬にやられるコトが多かったんですが、最近は夏にシフトしてまして。

まぁ、仕事の密度が一番薄いのがこの時期なので、仕事に合わせてバイオリズムも移行したのかも。

明日からは通常営業できそう。

イベント続き

自分のイベントの為に自分が忙しいのは当たり前でいいんですが、他にもいろいろ手伝いをしてるモノがあったりしてます。

手伝ってる理由はそれぞれ違ってて、明確な基準でなく、ほんとにいろいろ。

お世話になってる人の為、同級生に頼まれたから、内容そのものが面白そう、ミーティングのご飯が美味しい、その複合、etc、etc…

別に考え方に完全に賛同するかと言えばそうでもなくて、これ、自分の考えとは違うよな〜っていうのもけっこうある。

ただ、この先、この動きが続くといいな…と思えるのが唯一共通してるぐらい。

自分の趣味嗜好だけに合致した世界っていうのも、それはそれで退屈そうですし。

いろんな考え持った人が、独自に動いてる世界っていうのに、凄くワクワクする。

誰かの受け売りだったり、人から与えられた命題に取り組むだけじゃ、なかなか新しい価値は生まれない。
今みたいな時代の境目には必要なんじゃないかな。

モバイルスピーカー買った

SONYのSRS-X33っていうモバイルスピーカーを買いました。
Bluetoothでスマホやタブレットと接続して、バッテリー駆動で、どこにでも持ち込んで音楽が聞けるやつ。

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音楽聞くなら、自宅のオーディオセット(古いUSBアンプですが)で十分に満足してた人なので、こんなのを買うとは自分でも思ってなかったんですが。

思い立った理由の一つは、もっといろんな場所で、たくさん音楽を聞きたい…と思ったから。

特に、最近、自宅に設置した大判の作業テーブルの上にドンと置いて、気軽にスイッチ入れて、スマホからサクッと音楽聴けたらいいな〜と。
ヘッドホンもいいけど、常時はうっとおしいし。

スマホもスピーカーもNFC対応なので、スピーカーの上にスマホをかざすだけで、スピーカーの電源が入って自動的に接続。
あとはスマホで曲を選べば、すぐに音楽が流れだす手軽さは、けっこう新鮮で、エージング(スピーカーの慣らし運転)も兼ねて、かなり聴きこんでます。

「いい音」から「手軽な音」を選択しても、それまた楽しいのが音楽のいいとこ。

今までと全然性格の違う音なので、聞き慣れたアルバムが、また全然違って聞こえてきたり、既存の世界の見聞きだけじゃダメだな〜って思った、最近の出来事。

ニセ科学は嫌いです

今日は愚痴…です。

ニセ科学と呼ばれる存在が嫌いです。

科学的論証の積み上げを十分に行わずに、自分に都合の良い仕組みをでっち上げて、あとはどんどん喧伝していくことで、いかにも事実であるかのように捲し立てる。

人間って、何度も同じ情報に触れるてると、それに対する抵抗感が薄れていく生き物です。
「最近よく聞くし、これって科学的に正しいことなんだよね」…って錯覚させる。

これは科学的手法ではなくて、広告的手法と言って間違いない。
実際、大手のメーカーさんでも、最近はこの手法を使ってるし、そーとー注意しないといけない。

元素を変化させる生物って…

最近聞いた一番のケッサクは、発酵食品(微生物とかの効能?)とかで放射性物質を無害化する…とか。

放射性物質(でなくても普通の元素でも)の構成要素(陽子、中性子、電子)を変化させるってのは、相当なエネルギーを取り扱うことになるので、それが微生物の体内でおこなわれる…という仕組みは、当然従来の科学技術の中には存在しない。

仮に本当だって言うなら、その微生物とやらが体内で核分裂反応でも起こして元素を転換してると…そんな心当たりはゴジラぐらいです。
ぜんぜん”微”生物じゃなくて、そもそも架空の生物ですし。

当然その過程で発生した膨大なエネルギーを、どうやって「無害」に放出する(ゴジラは口からとんでもない破壊光線だしますね)のかとか、ちょっと思考するだけでトンデモな話だとわかる。

仮にそれが事実だとすれば、今までの科学が間違ってたことになり、となれば、今までの科学が間違っていたことを証明しないといけない。
もしくは今までの科学の延長線上で説明可能な仮説なり論文なりを提示しないといけない。

それが出来ずに、ただ自分の実験結果のみを論拠にしてるようなのは、科学とは言えない。

ニセ科学と陰謀論

ニセ科学と陰謀論って相性いいです。

自分の発見した事実が広まらないのは、政府や大企業が利権を守るため隠蔽工作をしてるから。
陰謀だ!って。

これも、ちょっと考えればわかることで、先ほどの放射性物質を無害化する微生物とやらが仮に実在するとなれば、これこそ超巨大な利権です。

アメリカの軍需産業あたりが、すさまじい金額で買ってくれます。

核兵器が今のトコロ、広島と長崎でしか使われてないのは、うかつに使うと、せっかく戦争に勝っても、その土地が当分使い物にならんですからね。
それが短期間に無害化できる手段が手に入るんなら、これほど軍事的に有効な技術は無い。

それがお茶の間レベルのネットニュースを騒がせてる程度ってコトは…まぁ、そーゆーことでございます。

既存の科学に敬意を払う

実際、現代社会を形成してる科学技術は、多くの科学者が膨大な時間と努力を払って積み上げてきたモノ。

既存の科学技術が役割を終えるのは、既存の科学を包括する新しい科学技術が登場した時だけです。

ちょっとネットで受けのいい話を、科学っぽく書いた程度でひっくり返るもんじゃない。

仮に、それをひっくり返そうっていうなら、そのためには膨大な研究リソースが必要になりますし、それこそネットニュースなんかに登場してる暇なんか無いはずです。

それも無しに、ひょこひょこネットで情報発信したり、講演会を開いてる方々は…科学者とは呼ばないですね。

FH1、ごく個人的総括

先日開催されたFH1に、スタッフボランティア参加しての個人的総括。

基本的に、テーマになってるオーガニックに関しては、今後広まっていくだろうライフスタイルの一つとしては大いにあるんじゃないかと思ってます。

個人的にはそれほど意識してはいないですが関心あり。
食は、量や質よりバランス重視のスタンスで、運動や生活習慣まで含めて初めて完成するんじゃないかと考えてますが、その辺の話は別のトコで。

最悪の一歩手前のお天気

当日の天気は、マーケットイベントとしては最悪の一歩手前。
朝から雨が降り続き、天気予報は刻一刻と悪化する。
僅かに晴れ間があるものの、基本的には霧雨or小雨で、ときどき本降りの雨が落ちてくる。

朝一でテント立て作業してる時は、まぁ今日は残念な1日になるんだろうな…と。
普通のイベント主催者なら、朝から切腹の準備を始めるトコロ。

そして10:30のイベントスタート。

あれ…

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お客さん、居ますね…ってか、多い。

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並んでるし…

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第2会場のお寺さんもバブル湧いてる。

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雨の影響…ほとんど無い感じです。

みなさん、好きなんですねぇ…

コアなテーマに絞る

雨にもかかわらず、これだけの人が来たというコトは、天候如何に関わらず、ここに来たかった人がたくさん居たという単純な理由。

今日は、近くでなんかイベントがあるから行ってみようか…という人ではなく。
今日は、アレがあるから何としてでも行かなきゃいけない…という人がたくさん居た。

形はオープンマーケットですが、実際のトコロ、アーティストのコンサートや、アイドルの集会に近いイベントだったんじゃないかと、後から思えてきます。

コアなテーマに絞って、尖った運営をしてきたコアスタッフの想いが結実した、一つの結果です。
不特定多数を想定した賑いイベントでは、この景色を見ることはできません。

自分の中で、一番大事なテーマであるからこそ本気で取り組むし、クオリティも上がる。
そこに共感した人たちが集まるというのは、いつの時代でも変わらないこと。

数字や経済を優先する時代が長かったですが、それだけでは生きていけない時代の一端が見えてきたんですね。

想いを共有することの意味

コアなテーマであるからこそ、コアな共感者がいる。
その想いを共有することは大事です。

やや余談ですが、自分も日頃お世話になってる某大学のT先生がいらっしゃってまして。
T先生も、今回のテーマに深く関わってらっしゃる方。

買い物しながら、一つ一つのお店で、このテーマに関してお話を聞いて回っていたようです。
流石です。

今回の出店者さんは、多かれ少なかれ、今回のテーマに関わりのある方ですので、そこでヒアリングをするっていうのは大変効率のよいやり方ですし、それぞれの出店者さんの想いを汲み取っていくのには、非常に有効な手法です。
直接会って話をする以上の良いコミュニケーションは無いですからね。

今回のイベントの成果が、こーゆー形で、他の取り組みに影響するなら、それはそれで良い流れです。
こーゆー共感の広がり方もありますし、想いがしっかりしてる取り組みならではの良い循環が回ってます。

ここがスタートでは無い

このイベントがスタートでもなければ、ゴールでも無いんですよね。

「このイベントをきっかけに、どんどん変わっていって欲しい」
「この賑わいを継続させるために、何が必要か」

会場で会った何人かの方(年齢はやや高めの方々)から、そんなコトを伺ったりもしましたが、そーではない。

このイベントを境に何かが変わるんじゃなくて、何かが変わったからこのイベントがある。

常日頃からこのテーマに真剣に取り組んでる人たちがいて、その取り組みの結果の積み上がりの一つの形が、たまたまイベントという形態を取った。

このテーマを進めていくのに、もっと適した形があれば、何も大変な苦労をしながらイベントを開催する必要もなくて。
テーマがテーマだけに、来場者数や売上金額を優先する必要もない。

もちろん「人を呼ぶにはコアなテーマに絞り込んで企画すれば良い」という話でも無い。
目的と手段を間違えちゃいけない。

想いがあるからこそ、たまたま結果として見えてるだけで、イベントが無くたって、取り組みは継続している。

とにかく無事終了しました

雨などありながらも、なんとか無事に終了しました。
事故とか、怪我とか、無くてとにかく良かった。

もちろん運営側の不手際もあって、いろいろ迷惑かけちゃったコトもありますし、中には「やっちまった〜」的なエラーもあったんですが、やっちまったものは仕方がない。
十分に反省して、今後の動きに取り入れていくしか無い。

何事も前向きに…前向きに。
道は、後ろから前に続くもの。